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  • 『現代ラカン派』
     

     コロックで松本卓也氏が現代ラカン派という言葉を使ったのにたいして、十川幸司氏は現代ラカン派など存在しないと批判していた。十川氏によると現在一線で活躍している人たちはジャック・アラン=ミレール、エリック・ローラン、マルヴァル、ソレール、メルマンなど皆もうかなりの年配であって、昔からいる人たちであるから現代ラカン派などとは呼べないし、また世界を見回しても現代ラカン派などを自認している学派はないという理由であった。 

    それにたいして私も自分の意見を述べようと思ったが発言する機会がなかったのでここで私の考えを述べてみたい。 

    ラカンは生前、自分の考えは50年経ったら理解されるようになるだろうと言っていた。ラカンが亡くなったのは1981年であるからまだ50年は経っていないのだが、ラカンの教育活動の理解は彼が考えていたよりも早く訪れたように思える。 

    というのもこれまでの一般的なラカンの受容は70年代以前の理論的構築をよりどころとしており欲望、無意識の主体、無意識は言語のように構造化されている、対象a、ファンタスム、etcなどの概念的道具を用いてなされていたのにたいして、最近のラカン派に人たちは70年代の後期、最後期のラカンに依拠している部分が多い。それは<他の>ジュイッサンス、サントームsinthome、言存在parletre、ボロメオの輪、ララング、etcなどのまったく違った概念群を使って精神分析の理論的把握を試みている。こうした試みこそが現代のラカン派の潮流である。この意味で現代ラカン派というのは確かに存在すると言えるのではないだろうか。そこで活躍しているのが年配の昔からいる人たちだというのはなにもこの潮流を以前のものと混同する理由にはならないであろう。 

    まだ年齢も若い松本氏はこうした潮流を敏感に感じ取り「現代ラカン派」という表現を使ったのであろう。コロックでは彼の世代、そしてもう一つ若い世代の人たちが新しいラカンの概念を使って発表していた。彼らこそが「現代ラカン派」にふさわしい人たちである。

    向井雅明 2015/03/26
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    戸山フロイト研究会報PsychA 

    早稲田の学生たちが主宰している「戸山フロイト研究会」の会報『PsychA』の創刊号をいただいた。特集が「Pour lire LACANラカンを読むために」と題されている。学部の学生たちが創ったものなのでそれほど期待はできないだろうと思って目を通してみると、とんでもない。内容が充実しているのに驚かされた。日本でのラカンの理解の水準はまだかなり低いもので、一般的にラカニアンとして知られている人たちでもそれほどラカンを読み込んで自分のものにしている人は少ない。ところが本誌を編集した人たちは年齢的にもそれほどラカンのテクストに親しんでいるはずはないとは思えるにもかかわらず皆そろって高い水準の理解を示している。

    本誌の最初の大きなテーマは「ラカン派入門書大レビュー」と銘打って、現在日本で手に入るラカン入門書の多くを評価しランク付けしている。おそらく彼らはこれらの本を丹念に読みこなしてこの水準に達したのであろう。彼らが自分自身で検証した結果が本レビューとなっておりかなり信頼性の高いものとなっている。すでにインターネットにおいてラカン関係の書籍を評価したものはいくつかあるが個人的な好みから恣意性が強くあまり当てにならない。その点でこれからラカンを読んでいこうという人たちにとって心強い。

    後はいくつかの論文と書評、そして最後に分析用語事典もついており、入門者に親切だ。

    これを読んでいるうちに昔フランスで出版された「Cahiers pour l’Analyse」を思い出した。Cahiersを創ったのは1960年代のエコールノルマルの学生たちで、当時流行っていた構造主義をよりどころとし、ラカンの精神分析を支持する哲学者の卵たちが集まって刊行したものだ。学生によって作られた機関誌といえども非常に高度な内容で当時の哲学、精神分析の先端を行っており、現在でも哲学や精神分析を学ぶものにとっては貴重なものである。編集陣はジャック=アラン・ミレール、ジャン=クロード・ミルネール、アラン・バディウーなどそうそうたるメンバーで、今では哲学、精神分析における一線で活躍している人たちである。

    『戸山フロイト研究会報PsychA』を『Cahiers』にたとえるのはちょっと過大評価だろうが、日本におけるその意義は無視できないものがあるように思える。というのも、日本の大学人や知識人のラカン理解はかなりお粗末なもので、たとえば、ある大学ではラカンをテーマに博士論文を書いても審査できる人に欠き、あまり関係のなさそうな精神科医がかり出されるような始末である。そうした情況で早稲田の学生たちの作業は何か新しい息吹を感じさせる。日本でも何かが変わってきているのではないかと希望がもてるからだ。筆者は現在までいろいろな人たちにラカンの精神分析の手ほどきを試みたが、ほとんど反応がなく、中でも優秀な人がそろい精神分析とかなり親近性のあるはずの精神科医の人たちの無理解と無関心には失望させられることが多かった。そうしたなかでこの『PsychA』を読んだとき、私のやっていたこともどこかで何か役に立っているのだなと感じて、報われたと思った。このコラムもそれだからこそ揚げたのだ。

    私は本サークルを初めてもう何年にもなるがいまだ会報ひとつ出すことができないでいる。それに比べて、早稲田の学生たちにはまったく頭が下がる気持ちがする。これからもがんばって、Cahiersがフランスでラカン的精神分析の発展に貢献したように、日本でも精神分析的な考えを広め、一種のnouvelle vagueを起こして欲しいものだ。
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     無限の愛

    東京大学のUTCPから『UTCP Booklet 20号 精神分析と人文学』という冊子が送られてきた。昨年、パトリック・ギュイヨマール氏が来日しUTCPで講演した際、原和之氏に呼んでいただき、その上このような刊行物まで送っていただいて大変ありがたく思っている。これと一緒に送られてきた原和之氏のフランス語論文集と併せて興味深く読ませていただいた。

    当日、ギュイヨマール氏の発表のあったあと、二つ質問が出た。小林康夫氏と私のものであるが、双方とも同じ問題点についてであったのは偶然ではないだろう。ラカンのセミネール第十一巻の最後のフレーズの解釈についての問いで、これはラカニアンの間でもいくつかの解釈があり問題になる部分である。

     

    原文を挙げよう。

    L’amour, dont il est apparu aux yeux de certains que nous avons procédé en au ravalement, ne peut se poser dans cet au-delà où, d’abord, il renonce à son objet. C’est là aussi ce qui nous permet de comprendre que tout abri où puisse s’instituer une relation vivable, tempérée, d’un sexe à l’autre nécessite l’intervention — c’est  l’enseigne­ment de la psychanalyse — de ce médium qui est la métaphore paternelle.

     

    Le désir de l’analyste n’est pas un désir pur. C’est un désir d’obtenir la différence absolue, celle qui vient quand, confronté au signifiant pri­mordial, le sujet vient pour la première fois en position de s’y assujettir. Là seulement peut surgir la signification d’un amour sans limite, parce qu’il est hors des limites de la loi, où seulement il peut vivre.

     

    この部分は次のように訳されている。

    「ある人々からすれば、われわれが愛を貶めているように見えたかもしれませんが、愛が措定されるのは、何よりも愛がその対象をあきらめる彼岸においてだけなのです。これによって次のことも理解できます。つまり一方の性の他方の性に対する、生きることのできる穏やかな関係が打ち立てられうるような避難所には、父の隠喩という媒介の介入が必要である、ということです。

    分析家の欲望は純粋な欲望ではありません。分析家の欲望は絶対的な差違を得ようとする欲望です。絶対的な差違というのは、主体が原初的シニフィアンに直面して、それに従属する位置にはじめてやって来るとき、そのときに介入する差違です。ここにおいてのみ、限界のない愛の意味作用が浮かび上がります。なぜならその愛は法の諸限界の外にあり、愛はそのような外部においてのみ生きることができるからです」。

     

    読者の関心の焦点は最後の部分に集中するだろう。このような愛は可能なのであろうか、そもそもそれはいったいどのようなものであろうかといった疑問である。小林康夫氏の問いはそれに関したものであった。

     

    ギュイヨマール氏はこう書いている。

    「そこにおいてのみ愛が生きることができる、法の限界の外部にある、この愛とは一体何だろうか。私の提案は、ラカンが語るこの愛のうちに、断念としての愛(殺害や供犠にまで至る純粋欲望から区別された非ナルシシズム的な愛)、このテクストにおいて(父性隠喩をめぐって)人間の共同体と名付けられているものへの呼びかけを見るということだ。それは破門〔共同体から排除(ex-communiquer?)〕することのない共同体である。それは分析家の共同体でもある。

     

    このギュイヨマール氏の返答はあまり私には納得できない、なにかロマンチックな理想的な愛を描いているように見えるからだ。

    私の質問は「そこに何かロマンチシズムのようなものがありはしないか。一体、限界のない愛とは何だろうか。精神病的な愛とどのように違うのだろうか」というものであった。以前コレット・ソレールが限界のない愛とは精神病的な愛だというのを聞いたことがあり、この点を明確にしたかったのだ。

    問題はラカンがこの文章の最初の部分に、生きることができるような穏やかな関係には父性隠喩が必要であると言っているところにある。父性隠喩はやはり一つの法であるから、法の限界の外にある愛というものは穏やかに生きることは困難な愛のはずである。そこに何か熱情的なロマンチックな愛を見るのは不思議ではない。

     

    そこでこの文章を少し違った風に読めないのかと考えてみた。

    問題の最後のフレーズ「Là seulement peut surgir la signification d’un amour sans limite, parce qu’il est hors des limites de la loi, seulement il peut vivre.」には関係副詞「」がある。ラカンの文章では関係詞などが何と繋がっているかを判断することが困難な場合が多い。この文章の「 も一見するとこの訳者のように法の外部と取るのが自然である。ギュイヨマール氏もそう取っている。

    しかしそれでは上の問題が出てき、文章の整合性が疑わしくなる。そこでこの「」が何か他の先行詞を指すことができるかを探してみよう。フレーズの最初に「」という副詞がある。少し遠いが、これを「」の先行詞と取ってみることもできよう。「

    Là …, où ….」と受けるのは自然な表現である。そうすると訳はこうなる。「ここにおいてのみ、限界のない愛の意味作用が浮かび上がります。なぜならその愛は法の諸限界の外にあり、愛は限界のない意味作用が浮かび上がるその場所でのみ生きることができるからです」。 

     

    このように解釈すると、もはやラカンが法の限界の外の愛を説いていると考える必要は無くなる。限界の無い愛の意味作用が浮かび上がるところとは何を意味するのであろうか。それを理解するには同じ段落にあるが引用されていない最初のフレーズを参照しなければならない。

    Position limite, qui nous permet de saisir que l’homme ne peut esquisser sa situation dans un champ qui serait de connaissance retrouvée, qu’à auparavant  rem­pli la limite, où comme désir, il se trouve enchaîné.

    日本語訳は次の通り。

    「これは極限の位置であり、これによって我われは、次のことを把握することができます。人間は、あらかじめ自分が欲望として繋がれている限界をあらかじめ極めた上で初めて、再発見された知識に属するような領域における自らの状況を素描できるのです」。

    この部分には、「L’amour, dont il est apparu aux yeux de certains que nous avons procédé en au ravalement, ne peut se poser que dans cet au-delà où, d’abord, il renonce à son objet.というフレーズが同じ段落内に続く。ここにあるd’abordという言葉は「何よりも」と訳されている。しかしその意味は前の段落の「auparavantあらかじめ」とおなじであり「まず最初に」と訳すべきである。そうすると人間は、一端、対象をあきらめた後に愛が据えられるという意味がはっきりとする。

    このすぐ後の部分では、生きることのできる、父性隠喩による愛が問題になっている。フレーズの冒頭にある、「極限の位置」とはカント的欲望、超自我的純粋欲望の命令の場所を指している。つまり人間は純粋欲望の極限というものを経験して初めて愛を生きることができるのだと言っているわけである。

    最後の段落では、主体は原初的シニフィアンに直面して初めて無限の愛の意味作用、つまり、カント的な欲望の意味作用を知り、その後に初めて生きることができる、というようなことが言われている。このように読んでいくと、結局、最後の段落は最初の段落と分析家の欲望とを絡み合わせて繰り返しているのだということがあきらかになる。

     

    セミネール十一巻の最後の部分はこのように読むと整合性が保たれるであろう。

     

     

     フロイト思想研究会
    向井雅明

     28日のフロイト思想研究会の最後に設けられたシンポジウムの発表では四人の先生方がそろって、21世紀には精神分析は廃れる、とか、フロイトは思想としてのみ残るだろう、などと発言していた。四人の方のうちで三人は精神分析実践とは関係のない方であるからまあ仕方あるまいとしても、自分は精神分析をやっているという発言者までがそう言うのには全く失望してしまった。ちなみに、シンポジウムのテーマは「実践されるフロイト思想」であったが、これではまるで「埋葬されるフロイト思想」ではないだろうか。
     そしてまた彼らの口からは、現代においてフロイトの継承者と見なされるべきラカンの名前がほぼ抑圧されたように出てこなかったことももうひとつの驚きであった。
     そこで私はシンポジウムの最後に「精神分析理論というのは生きているものであって、時代によって変わっていくものだ。現代の精神分析においてはラカンの名を無視することはできず、フロイトの理論といえどもラカンの理論展開をふまえて遡及的に理解することが必要だ。皆さんの発表もこの点を考慮してなされば遙かに興味深い物となったことでしょう」というようなことを会場の側から、ちょときつかったが、発言した。
     私自身にもこれから精神分析が発展していくか衰退していくかはわからない。だがそれを言う前に精神分析とは本質的に何であるかをよく考えてほしい。
     フロイトが「精神分析はペスト」だとか自分は「冥界を動かす」など言ったのは意味のないことではない。彼はすべての者が忌み嫌い、避けて通ろうとする世界の扉を開こうとしたのだ。この世界では市民権を獲得することのできない次元のものにひとつの場所を与えようとしたのだ。そういうものがこの世でディスクールとして成立すること自体、ひとつの奇跡である。フロイトはそれを行った。だが、この扉は一度開いたとしてもそのままではやがて閉じてしまう運命にある。フロイト以後それは閉じられる方向に向かった。そこにラカンがやってきて流れを変えようとした。そしてラカンが生きているうちは確かに流れは変わった。この意味でラカンはフロイトと同じく奇跡を起こした人間なのだ。
     だから、現代においてフロイトを語るにはラカンとともに語る必要があるのだと言うのだ。
     問題は精神分析が発展するか廃れるかではない。フロイトの後を引き継いでいこうとする人間がいるかいないかなのだ。これは理論ではなく実践の問題である。単に精神分析は凋落するということを繰り返すだけでは凋落に荷担するだけであり、それは世界の一般的で自発的な傾向に従っているだけなのだ。

     21世紀のシュレーバー研究
    松本卓也

     精神医学の世界でもっとも古くから刊行されている雑誌の一つである『神経精神疾患ジャーナル(The Journal of Nervous and Mental Disease)』誌の2007年8月号に、「シュレーバーのうなり声の奇蹟」(*1)と題された論文が掲載されている。
     著者グレーム・マーティンはシュレーバーがその著作『ある神経病者の手記』で語っている「奇蹟」を八つ取り出し、コンピューター(ATLAS.ti)を用いたアナライズを行い、八つそれぞれの「奇蹟」がシュレーバーの著作のなかでどれだけの頻度で出現するかを調査している。結果は以下の通りである。


     このように、『ある神経病者の手記』における奇蹟の出現頻度で言えば、「うなり声の奇蹟」が最も多く、「脱男性化」の奇蹟はより少ないことが分かる。
     フロイトのシュレーバー論である「自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察」において議論の中心となっているのは、神=父=フレックシヒ教授という父性的なセリーに対する同性愛的欲望に対する防衛(とその失敗)であり、フロイトはこれをパラノイア精神病の原因とみている。後にラカンはこの同性愛的欲望はパラノイアの原因なのではなく、むしろ《父の名》の排除という構造(の不在)から帰結する症状過程であるとすることによって、精神病の構造的条件としての「父の名の排除」の理論を完成させている。また、フロイトは「脱男性化」の妄想にエディプス・コンプレックス理論における「去勢」の対応物を見て取っている。
     しかし、マーティンは上記の統計の結果から、以下のように結論づける。――シュレーバーは、同性愛や神の妻となるための「脱男性化」に苦しんでいたのではない。シュレーバーが最も苦しんでいたのは「うなり声の奇蹟」である。
     マーティンの論述は、次第に事件を追う名探偵さながらの筆致となる。マーティンはシュレーバーの「うなり声の奇蹟」をチック障害、とりわけトゥレット症候群と診断するのである。トゥレット症候群とは、シャルコーの弟子であったフランスの神経科医ジル・ド・ラ・トゥレットが記載した疾患であり、運動チックと音声チックを伴い、顔面の素早い動きや一定の動作の繰り返し、叫び声やうなり声、さらには汚言症(罵りや卑猥な内容を不随意に発声する状態。コプロラリア)を特徴としている。この疾患は確かにシュレーバーの症状と一致している。
     念のため、シュレーバーがゾンネンシュタインに長期入院していた時期の主治医であったヴェーバー博士による記述と照らし合わせてみよう。「しばしばうまく聞き取れないこともある罵りの言葉(たとえば、「太陽は売女だ」など)を、一本調子に、果てしもなく繰り返し発する」(S.383-384)、「一見してこれは病的だと考えざるをえなくなる精神運動性の症候」(S.385)、「顔面筋肉の痙攣と両手のひどい震え」(S.380)。同様のチック様の症状は、バウマイヤーによって発見されたシュレーバーの入院中のカルテにも記載されている。
     ただし、トゥレット症候群は一般的には18歳以下に発症する疾患であり、この点はシュレーバーには当てはまらない。現代の精神医学において広く使われている診断基準DSM IV-TR(『精神障害の診断と統計の手引き』)でも、トゥレット症候群の診断基準のひとつとして、「18歳以下に発症すること」があげられている。この難点に対応するために、マーティンは近年報告されている「成人発症のトゥレット症候群」の議論を持ち出し、シュレーバーのチックはこの成人発症型にあたるとしている。さらには、ストレプトコッカスの感染がトゥレット症候群の発症の原因になるという最近の研究を持ち出して、シュレーバーには肺の感染症があったのではないかと推論している。そして、シュレーバーの「胸部狭窄奇蹟」は、まさにこのストレプトコッカスによる肺炎によるものであったのではないかと結論づけている。

     ここまでその内容を概観してきたマーティンの2007年の論文に顕著なように、症例シュレーバーをめぐっては、その著作の内容の分析をもとにして、「パラノイア」という診断を批判する議論が数多く存在している。1980年代にはシュレーバーは「うつ病」であるとする論文(*2)(*3)がいくつか発表されており、シュレーバーの主治医によって下された「パラノイア」という診断を堅持するフロイトへの批判も相次いでいる。
     なかでも決定的な議論となったのは1992年に刊行されたロターヌの『シュレーバーを弁護する』(*4)であろう。マウントサイナイ医科大学精神科教授であるロターヌは、前述のマーティンの師にあたる。彼はバウマイヤー(*5)やイスラエルス(*6)の先行研究をもとに、シュレーバーに関する膨大な伝記的事項を強迫的なまでに収集し、シュレーバーはパラノイアではなく「うつ病」であると宣言している。さらにはシュレーバーに関する先行研究のほぼすべてを網羅し、それぞれの内容の紹介とコメントを行っている。これまでのニーダーランド(*7)やシャッツマン(*8)による研究では、父モーリッツ・シュレーバーの厳格にすぎる拷問的教育によって、子シュレーバーの「魂の殺害」が行われたとする議論(子供のパラノイアの原因は父の教育である)が有名になっていたが、ロターヌはさらに二人の主治医フレックシヒとヴェーバーのそれぞれの論文や伝記的事項を徹底的に調べあげた上で、シュレーバーの「魂の殺害」を敢行したのは父だけではなく、当時の精神医学なのだと結論づけている。たとえば、シュレーバーの初期の主治医フレックシヒ教授は、「ヒステリー女性の子宮を摘出することによって治療する」(現実的な去勢!)という内容の論文を書いており、これを読んだシュレーバーが自らも去勢される(脱男性化)と思ったのではないかという推論をおこなっている。後の主治医ヴェーバーにいたっては、病気が寛解したシュレーバーをなおも禁治産者の地位にとどめておくために、何度も執拗に裁判所へ精神鑑定書を送付した悪人として描かれている。一読して分かるように、ロターヌの議論は基本的に反精神医学および反フロイト主義の系譜に属するものである(この著作の裏表紙にサズとグリュンバウムによる推薦文が掲載されていることからもこのことは伺える)。

     私たちがこのようなシュレーバー研究を読んで感じるのは、構造論の決定的な不在である。彼らのシュレーバーについての議論は基本的にDSM流の操作的な方法で行われており、個々の疾患の診断基準の症状を満たすか満たさないかということが問題となっている。これはシュレーバーの診断上の問題にとどまらず、シュレーバーの伝記的事項の解釈においても同様の事態が生じていると見てよい。
     このようなシュレーバー研究に対して、私たちはラカンの次のような言葉をもって答えることができるだろう。「どんな想像的形成物〔=症状〕も疾患特異的なものではなく、構造における決定因でもなく、〔精神病の〕過程における決定因でもない。」(E546) つまるところ、精神分析では、症状の有無によって診断を行ってはいけないのである。同性愛があるからといってパラノイアだと決め付けるわけにはいかない。なぜなら、同性愛および自分の身体の性別と精神の性別の不一致は、精神病だけではなくヒステリーにも見られる症状だからである。
     ラカンの精神病論は「精神病のあらゆる可能な治療の前提となる一つの問題について」と題されているが、この「一つの問題」とは、「父の名」を中心とした構造論の問題である。「父の名」こそが「ふたつの領域〔精神病と神経症〕のあいだの境界に架かる橋」(ibid.)となり、「神経症と精神病の間に求めるべき最低限の相違」(ibid.)を定義するための構造論的な鍵となるのである。ラカンのこのような精神病論の方法は、前述した幾多のシュレーバー研究の操作的な方法とは決定的に異なっている。

     一方、現代の精神医学の状況に目を向けるなら、ここでも決定的な変化が生じはじめている。現行のDSM-IV-TRの改定版であるDSM-Vは2011年に発表される予定であり、現在は改定のための作業が進められている。この動きのなかで特筆すべきものは、「精神病を脱構築する[Deconstructing Psychosis]」というDSM改定のための中間報告である。この報告では、統合失調症、双極性障害、分裂感情障害、短期精神病障害、精神病性うつ病などを包括する「全般性精神病障害」の概念が提唱されているが、この「全般性精神病障害」という用語が意味する範囲は、まさにラカンが「精神病」と呼んでいる範囲と同じであると筆者は考えている。また、この中間報告では、これまでDSMで行われてきた操作的診断によってカテゴリーを決定する診断の限界に直面して、カテゴリー診断からディメンジョン診断への移行までもが議論されているのである。
     
     このような現代の状況を考慮に入れるならば、現代においてシュレーバーを論じる際に、もはやシュレーバーの診断が「パラノイア」或いは「うつ病」「トゥレット症候群」なのかという問題にとどまることは許されない。また、DSMを認めるか認めないかという卑近な問題にとどまることも許されないだろう。21世紀のシュレーバー研究には、これらの議論を包括した「全般性精神病障害=精神病の解明」が必要とされている。


    本文中で言及したシュレーバーに関する文献は、以下の通りである。

    1) Martin G., Schreber's "bellowing miracle": a new content analysis of Daniel Paul Schreber's memoirs of my nervous illness., J Nerv Ment Dis. 2007 Aug;195(8):640-6.
    2) Koehler KG., The Schreber case and affective illness: a research diagnostic re-assessment., Psychol Med. 1981 Nov;11(4):689-96.
    3) Lipton AA., Was the "nervous illness" of Schreber a case of affective disorder?, Am J Psychiatry. 1984 Oct;141(10):1236-9.
    4) Lothane Z., In Defense of Schreber: Soul Murder and Psychiatry, Analytic Press, 1992.
    5) Baumeyer F., The Schreber case. Int J Psychoanal. 1956;37:61-74.
    6) Israels H., Schreber: Father and Son. Madison (CT): International Universities Press, 1989.
    7) Niederland WG., Three notes on the Schreber Case. Psychoanal Q. 1951;28:151-69.
    8) Schatzman M., Soul Murder: Persecution in the Family. London: Allen Lane, 1973.

     ラカン理論によるヒステリー
    向井雅明

     このテクストはある演題募集に応募したけれど通らなかったものです。紙面が限られていたので説明の足らないところもあると思いますが、ヒステリーというものの理解の手がかりにはなると思いますので、参考にしていただきたいと思いコラムに載せることにしました。
     
     エジプト時代の文献にも見られるように、ヒステリーは最も古くから知られている「病気」である。しかし、それにも拘わらずヒステリーの医学的地位については、現在まで明確にされていない。とりわけ現代では、ヒステリーは消失したとさえ言われているのであるから、ヒステリーがまともに取りあげられることさえ少なくなっている。だが、ペニシリンなどの特効薬が発明されたのならまだしも、太古の時代から存在する病が現代になって突然無くなるということがあるのだろうか。もしそうだとしたらそれはなぜだろうか。
     ヒステリーは時代によってまったく異なった扱いを受けてきた。西欧におけるヒステリーの歴史の中では、まずエジプト~ギリシャ時代には子宮から生じる女性特有の病だとされ医学的に扱われていた。中世では宗教が医学に取り代わるようになる。神と悪魔の戦いが女性の体の中で行われ、悪魔を追い払うにはエクゾシストの祈祷を必要とするのだ。その後、教会の権威が失われヒステリーは再び医学の手に戻っていく。その代表とも言えるシャルコーは男性ヒステリーを認め、またヒステリーと暗示の関係が強調された。
     その後に来るのがフロイト、そして精神分析である。そもそも精神分析の誕生はフロイトとヒステリーの出会いによってなされたのであり、精神分析の中心的技法である自由連想もヒステリー患者の提案を下に考え出された。当時ヒステリーはシャルコーによって医学的に取り扱われていたが、フロイトはそれを脱医学化させたと言ってもよいであろう。フロイトによるヒステリーの脱医学化とは何を指すものだろうか。
     それはまずフロイトが、治療者として患者を治療しようという、医者としての支配者的な立場を捨てて、逆にヒステリー患者の言うことにしたがって話を聞き、ヒステリーから何かを学ぼうとしたことだ。支配者的立場を捨てるのは、同時に、ほとんどの医学的治療の場で作用する暗示による治療効果に頼らないことにもなる。
     フロイトは患者の言うことを信じ、そこには必ず真理が含まれていると考えた。だが、医学で必要なのは病気についての情報であり、真理は必要のないものである。これは精神分析がまさに真理と呼ばれる主体的領域の問題を扱うもので、病という言葉では捉えられないところにあることを示している。ヒステリー患者は自分でも知らないところにある真理によって苦しめられるのであり、それを明らかにすれが「病」から解放されるとフロイトは考える。それは忘れられた記憶であり、ある記憶が事後的に姿を変えて意識世界に戻ってくるのだ。患者にとってそれは想い出したくない記憶であり、同時に意志とは関係ない場から戻ってこようとする記憶である。フロイトはこの考えから無意識というものを想定し、また無意識の主体を想定する。ヒステリーが症状で悩む姿は、このように、無意識から出てこようとする主体と、それにたいして完全に無知のままでいようとする主体とのあいだのの葛藤として取りあげられる。ゆえにそこでは、主体は分裂しており、無意識的主体がはっきりと認めらるのだ。これは単に非医学化というだけではなく、非心理学化とさえ言える考えである。なぜなら、心理学的な主体とはエゴのように常に、自律性を持ち、統一された主体だからである。
     また治療という面では、ヒステリーにたいする精神分析的治療は、何の薬物も使わず、フロイトがヒステリー患者そのものから学んだ自由連想法という、ただ言葉だけを仲介になされる手段である。
     こうした点がフロイトがヒステリーを脱医学化したというゆえんである。
     フロイトが活躍していた頃は精神分析はヒステリーと共に歩んでいたが、彼の没後、精神分析は徐々にヒステリーから遠ざかっていった。それとともに、精神医学においてもそれまでの典型的なヒステリーの希薄化によって、ヒステリーの存在自体が疑われるようになる。現代では精神医学のマニュアル化が進み、精神疾患は原因ではなく症状で分類され、DSMではヒステリーという病名はもはや扱われず、解離性障害、身体表現性障害、パニック障害、摂食障害などの個別の症状の次元で扱われるようになっている。このことは一方ではヒステリーが再び医学化したとも言えるし、またヒステリーという疾患単位が無くなるのであるから、医学から完全に離れてしまったとも言えるだろう。
     ヒステリーとはこのように実体を掴むことの困難な概念であり、ヒステリーとは何かという問いそのものがヒステリーの中心的な問題となるのだ。
     現代の精神分析の諸潮流のなかで、ヒステリーをもっとも重要視しているのはラカン派であろう。紙面が限られているので近似的な表現にならざるを得ないが、ここでラカンのヒステリー論を考察する中でヒステリーとは何かを明らかにしていきたい。
     ラカンはまずフロイトへの回帰というスローガンをもって精神分析理論を展開していった。その方法は、言語学を利用して、フロイトの諸理論にたいする根源的な再考察を行い、精神分析の理論化を図るというものであった。
     そもそもラカンは、最初から主体を分裂したものだと考えていた。ラカンの最初の理論化とも言える有名な鏡像段階では、鏡の中の像は統一された完全な身体像として理想像となり自我Moiの根幹を構成する。一方、未熟な状態にある私Jeとしての主体は自らの主体的混乱を弁証法的に解消し、Moiに到達しようとするするのだが、JeはMoiに完全に到達することはなく常に漸近線的な接近に終わるのだ。ここでは主体がイメージを巡ってJeとMoiに分裂したものだとして考えられている。
     つぎにラカンは言語学的考察を下に主体を考えようとする。彼の理論展開は、人間が言語世界に入っていくことによって必然的に主体は分裂したものとして生まれるというものである。つまり主体は、言語世界にはいることによって言語的存在-名前、肩書き、性別、職業などを-獲得し、言語世界のなかで顔を持った意識的な主体となるが、他方では、書き込まれた言語的存在と書かれる場所である現実的存在の間に、数学で言う空集合のようなギャップが生じ、言語的存在を持たない主体が生じる。後者は自らの名前、シニフィアンを持っていないもので、自らの存在が欠如し、存在を求める主体として、ラカンは斜線を引かれたSと名付ける。ここでは意識的、自我的な存在と、無意識的な存在欠如という形で主体の分裂が考えられている。
     ヒステリーとはこの存在欠如としての主体が、自らの存在を求めて真理というかたちで意識的、自我的な世界に姿を変えて介入することである。存在を獲得しようという動きは、二つのものに要約される神経症の問いとして現れる。ひとつは私は生きているのか死んでいるのかという問い、もう一つは私は女なのか男なのかという問いで、それぞれの問いに神経症の形態が対応する。前者は強迫神経症的、後者はヒステリーである。しかしそこには二種類の構造があるのではなく、双方共にヒステリーだと考えられる。このように見たときの強迫神経症はヒステリーの一種の方言だと考えられているのだ。
     ヒステリーというのはそれゆえに主体の分裂そのものを示すものと言える。後にラカンは、主体の分裂としてのヒステリーをもとに、一つの社会関係として「ヒステリーのディスクール」というものを理論化した。次のような式で表されるものである。

     S/ →  S1
     a  // S2

     S/は斜線を引かれた主体で、これは支配者的シニフィアンであるS1にたいして、自分の苦しみのもとになっている真理aについての説明を求めて問いかける。そこでS1の位置に置かれた者は一つの知S2を創りだして返答しようとするのだが、それはヒステリーの真理の位置に置かれた享楽を説明することはできないままに終わり、ヒステリーの問いは続けられるというものである。
     この図式から、ヒステリー者が僧侶、医者、政治家など社会における父親的、支配者的立場に置かれる人たちと関係を持とうとする理由が説明される。父親的、支配者的な人たちはヒステリーの問いに答え持っている者と見なされ、彼らにたいしてさまざまな難問が出されるのだ。ヒステリー者はさまざまな症状を携えて医者を訪れるのだが、あらゆる検査をくり返しても原因はわからないままに終わる。医者が支配者的な態度を取り、問題を解決する能力を誇示すればするほど、ますます解決不能な問題が出され困難な状況に陥るのである。
     父親的な立場に立つ人は、その結果、自らの無能さを露呈することになるのだが、このように、いわば去勢された父親はヒステリー者が自らの存在を確保するために愛される存在でもある。不能な父親を支えることを存在の根拠とするのだ。
     こうしてみると、ヒステリーはもはやひとつの病とは言えないであろう。それは主体の存在、いやむしろ存在欠如そのものであり、自らの存在を求めて、その時代時代で支配者的な姿をとる者と関わっていこうとする行為の表れである。ヒステリーが時代によってまったく姿を変えるのは、自らが置かれた社会におけるS1の姿の変化にカメレオンのように対応しているからである。現代においてシャルコーの時代にあったような大ヒステリー症状はもはや出てこない。現代のヒステリーはむしろ科学的手段ですべてを解決しようとする医学にたいして、いかなる科学的検査をも無効にしてしまうような症状を持ち出すというものとなる。
     こうした意味でヒステリーは決して無くなることはないであろう。ただ、現代医学にとっては決して見えない存在なのである。そしてそれに対処できるのは、ヒステリーによって生みだされた精神分析だけである。したがって、DSMのようにヒステリーを否定することは、精神分析を否定することなのだ。
     

     精神分析のためのグループについて
    向井雅明

     このコラムの最後に「発言すること」という記事を書いた。そこでアラン・バディウーから聞いた毛沢東のエピソードについて触れ、グループを発展させるために自由連想法を応用するように提案した。だがあまり理解されなかったようだ。それどころか毛沢東主義などのレッテルまで貼られる始末である。そういえば、かつてバディウも、同じような決めつけをされたことを思い出す。

     批判のひとつは、グループにおいては分析の場でなされるような、自由連想的な作業はできない、というものであった。分析において分析主体analysantは自由連想の作業をするのであるが、グループにおいて同じようなことはできないというのである。だがラカンは、「教育の場において私は分析主体analysantとして在る」と述べている。教育の場、すなわち自ら設立したグループのなかでも分析主体として作業すると言っているのだ。

     分析主体analysantとして在るというのは、まず分析家analysteとしてではないということである。つまり相手に作業をさせるのではなく、自分自身が作業するのだ。それはまた支配者という、他人に何かを命令する立場でもない。四つのディスクールにしたがって大学のディスクールを取りあげると、知を携えてそれを誰かに教え込む者としてでもないのだ。

     分析主体として在るということは、ヒステリー的な分裂した主体として自由連想の作業のなかで知を見つけ出していこうと振る舞うことである。

     分析のセッションのなかでは作業は分析家への転移下でなされる。ではグループの中の作業において転移は成立するのであろうか。ラカンはグループにおいての「分析作業」では、転移が向けられるような分析家は存在しないが、グループが転移の支持として作用すべきである考える。それをラカンは「作業の転移」transfert de travailと呼ぶ。たとえばラカンの言うグループは、軍隊のように、グループの主導者のような人にたいして転移が成立するというものではない。もし、指導者に転移をおこして行動するようなスタイルを採るなら、分析的グループを他のものとを区別することはできない。こうした「作業の転移」によってのみ分析グループの中での作業が可能になるのだ。

     ラカンは、知を発見していく分析主体はヒステリー的存在である、と述べている。精神分析の主体、「ヒステリー的主体」は科学から排除された主体であり、科学のディスクールはヒステリーのディスクールと共通しているということを踏まえれば、知を追求するという立場としてヒステリーがやって来るというのは何らふしぎではない。この点からするとラカンが知を発見していくために分析主体=ヒステリーとして在るというのはうなずける。

     私は精神分析のためのグループはおよそグループらしくないものでなければならないと言っている。それは分析家は分析の場ではあらゆる理想の機能を停止させなければならないからだ。そのために他のグループのように制度とか規則、または固有名詞を前面に出すことはできないのだ。そこでは、各自が自由にものを言い、考えて、新しい知を構築していかなければならない。既存の組織のあり方をスライドして当てはめ、そこに安住することに意味はない。新しい知を構築する作業を地道に続けていき、獲得された知を蓄積していくことで、初めて精神分析はこの地に根付き、何か新しい息吹をもたらすことが可能になるだろう。


     発言すること
    向井雅明

     まだ68年5月の雰囲気を漂わせていたヴァンセンヌ大学で、ある日、バディウーは、毛沢東の解放戦争時代のエピソードをひとつ話してくれた。

     毛沢東が抗日活動のゲリラ戦を率いていたころ、そこには当時の共産主義の拠りどころであったスターリンのソ連から一人オブザーバーが送られていた。中国 の共産主義運動を指導しようという目論見であったのだ。そのオブザーバーからスターリンにあてられた報告についてバディウーは注目したのだ。

     オブザーバーによると当時毛沢東の軍隊は大混乱を起こしていて、まったく信じられない様相と呈していた。とにかく皆がめいめい好き勝手なことをして、一 兵卒が士官を平気で批判したり、通常の軍隊の規律からすると考えられないような状態が起きているということだ。

     だが、このような混乱にもかかわらず結局毛沢東は勝利した。なぜだろう。じつはそこにはスターリンのオブサーバーには理解できないひとつの試みが行われ ていたのだ。
    つまりすべての者に自由に意見を述べさせるということである。そしてそこでひとつの方向性が醸成されてくるとき、毛沢東は一気にそれを掴み、取り入れ政治 的、戦略的路線とした。スターリンの部下はそれを理解することができないのだ。
    これはまさに30年後、文化大革命で毛沢東が取った手法である。だから、文化大革命が始まったときすでに毛はその手法を完全に掌握していたのだ。

     このような方法の根底にあるのは、人間に自由にものを言わせると、つねに問題の核心に話題が向かっていく、つまりそこで真理が生まれるということだ。政 治家はその真理を捉えることが重要なのだ。大衆の中で自発的に生まれてきた真理をいかにに捉えるかは政治家の手腕にかかっているのだ。

     このことは、精神分析に当てはめて考えると大変理に適っていることがわかる。なぜなら、精神分析で使われる唯一のテクニックである自由連想法は、まさ に、患者の頭の中に浮かんだことをすべて言わせるということなのだからだ。そして、人間に好きなことを自由に言わせれば必ずその人が持っている問題を巡っ て話が進んでいくようになるのだ。これは、精神分析の基本である。

     私はこの精神分析の基本的原則を精神分析のためのグループにも適用できないかと思っている。つまり、サークルの皆さんの各自に自分の思っていることを自 由に発言していただきたいのである。コラムでもよいし、BBSでも、また論文という形でもどのようなものでもよい。そして言う内容は間違ったことであって もよいし、つまらないと思えることでもいい、恥ずかしがらずに言うことは必要である。何かを言うとそれを言ったひとは自分の言ったことに従属するようにな る、そうするとそれにしたがってまた次の言葉が出てくるだろう。これはひとつの作業なのだ。そしてこのような作業を通して各自はさまざまな問題を深め、ま た同時に自分の水準を高くすることができる。ラカン的な精神分析を導入するためのグループは優秀な人間を必要としている。だだの傍観者では何の意味もない ということを分かっていただきたい。さまざまな場所での自由な発言によって百戦錬磨となったような人たちの集団が成立しなければ、精神分析を導入すること はできないだろうからである。それほどこの作業は困難なものなのだ。


     精 神分析における理論と実践
    向井雅明

     日本精神分析学会の学会誌『精神分析研究』の最新号 に 『クライン-ラカン ダイアローグ』についての書評が掲載されている。

     この『クライン-ラカン ダイアローグ』という本は、クライン派とラカン派という互いに親近性のある学派どうし の対話が成立すると実りある結果が期待で き るはずだということで企画されたものだろうが、書評を読む限りではそうでもないようだ。論評者はどちらかというとクライン側の発表により理解を示している ようである。評者の、ラカン派の主張が理論的な立場に固執して「ラカン派に典型的であるが、誰一人として自分の臨床素材を詳細に論じることなく、ラカンが どう言ったかの講釈に終始している」という意見を見てもそれは明らかである。

     評者は、本書の対話の参加者で対話について意見を述べている人の言葉を引用している。それによるとこのディア ローグは「一面土に覆われた庭からやってき た ばかりの女性」と「図書館であくせく本を読む男性」のあいだの対話だということで、評者はそれに賛意を示している。おわかりだろうが、前者はクライン派で 後者はラカン派の人間を表している。

     そして「本書はクライン派の方の基本的な考え方を知るのに役立つと思われ」、「ラカン派にはまとまった臨床素材 の提示を求めたいところである」と述べ、 「本書には・・・基本的なところでフラストレーションがある。それは彼らの言っていること書いていることと、実際に行っていることの間にどれほどのギャッ プがあるのか分からないからだけではなくて、思いがけず感銘する一言が見いだせなかったからである。それもラカン派の実状の何かを反映しているのだろう」 と締めくくっている。

     どうやらラカン派以外の人たちは、ラカン派の分析家が実際の分析状況を細かく描写して説明してくれないことに、 かなり不満を持っているようだ。そこか ら、 ラカンは理論的には良いものもあるが実践には何も役立たない、などという意見も出てくるのだろう。

     しかしながらこのような意見は、精神分析というものが何であるか、精神分析における理論と実践 の関係というものはどのようなものなのか についての理解不足から来ていると私には思える。

     こうしたラカン的分析に批判的な意見は、精神医学や臨床心理の分野から起こってくることが多い。それは、そもそ も精神分析と他の治療分野には根本的な差 異 があるというところから来ている。どのような差異であろうか。

     ひとつの実践においては何を相手にするのかということを忘れては当然何もできない。たとえば、一般的な治療目的 の手段において、それは病に陥った患者で あ り、それを治療するということが問題になるので、何を相手にしているのかは自明である。これに異言を唱える者はいないだろう。ところが精神分析の場合には 状況がすこし違ってくる。精神分析は病に陥った人間を扱うものでもなく、困った人を助けるためにあるわけでもない。精神分析が関心を持つのは主体というも ので、主体を相手にするのだ。

     しかし、精神分析の相手にする主体というものは、人間でもなく、単なる自我でもなく、大変に捉えがたいもので、 それを考えるには非常に複雑な理論を展開 す る必要があり、大きな困難を伴う。フロイトの言う無意識が非常に把握するのが困難であるのと同じである。フロイトの無意識とは一方では主体のない過程であ ると言えるが、他方では主体だと言っても良いのだ。

     たとえば、現代哲学では数少ない主体の概念を追求している哲学者であるアラン・バディウーのように現代の最先端 の哲学者でさえも、彼の主著書である『存 在 と出来事』のなかでもまだ主体にある種の実体を与えていたと反省している。主体を考えることは自由を考えることとよく似たもので、人間は物理的にはまった く決定されていると考えるのが合理的である一方で、やはりそれでも自由という概念を棄てることはできないという二律背反がありその双方を同時に考えること が思想の課題となるのだ。精神分析では、主体をまったく実体的なものを持たない、完全に希薄なものとして考えることが必要となる。何か実体的なものを与え てしまうとそれは物理法則に引っかかり矛盾に陥ってしまうからだ。これは、何か存在を持つものはデカルトの懐疑によって否定されることと同様なロジックで ある。そして、そのような主体を相手にしているということを見据えた上で理論を構築すると、必然的に思弁的な色合いの強い理論ができるのだ。たとえば、こ うした実体を持たない主体と欲望の関係はどのようなものなのか、症状とはいったい何なのかという問いにたいする返答も決して単純なものにはなれないのだ。 だから、それをただの思弁だとして片づけることは精神分析の本質を捉えていないことになるだろう。

     もう一つ精神分析において他のものと違っていると考えなければならないものがある。理論と実践との関係である。

     一般的に言えば、理論は実践を行うにおいて実践に当てはめるためにあると考えられている。理論とは個々のものか ら抽象して取り出し、普遍的なものとして構築 し、 より一般的な状況に当てはめるものだと考えるわけだ。ところがこの論理は精神分析には当てはまらない。なぜなら、精神分析はそれぞれのケースの持つ特異的 な性質を持つものに興味を持ち、その特異性を捉えようとするからだ。普遍的な理論を持ってケースに当たるとその特異性を見失ってしまうおそれがある。だか ら、実践においてはすべての理論を忘れることが必要なのだ。

     それでは理論は何のためにあるのかという疑問が出てくるだろう。確かに実践では理論を忘れることが必要なのだ が、逆に理論がなくなると精神分析は精神分 析 ではなくなることもまた間違いない。精神分析はフロイトの理論によって支えられているのだ。そして理論が変わるとまた実践も変わってくる。クラインの理 論による実践はラカンのそれとは違うし、自我心理学をもとにする実践とラカンの理論をもとにするものでは明らかに違いがりある。

     セルジュ・ルクレールはこう言っている。「精神分析家に課せられる二重の要請があることがわかる。つまり、一方 では、彼にとってひとつの参照体系、無差 別 無前提に収集した素材の秩序化を可能にする理論を持つことが必要であるが、他方では、ひとつの理論体系を受け入れることは、好むと好まないとにかかわら ず、ある種の要因の特権化へと必然的に導くということから、すべての参照体系を拒絶しなければならない。

     不可避な問いが立てられる。いかに精神分析理論を、理論の構成そのものによって理論の適用の基本的な可能性を消 し去ることのないものとして考えることが で きるであろうか」。

     そもそもラカン理論は実践には役に立たないと考えている人は、そこから何か技法のようなものを取り出そうと考え ているのではないだろうか。しかし精神分 析 には技法はない。技法は学ぶものではないのだ。ではどのように精神分析実践を学び行えばよいのかというと、そのためにこそ教育分析というものがあるという ことだ。教育分析を終えて、もしくはある程度進めることで分析家としてやっていけるのだ。そのとき実践の場に立つ分析家はそこではただ一人である。そこで 出てくるすべての問題を一人で解決していかなければならない。それができないならば分析家としてやっていくべきではない。すべての事柄を自らの内密な判断 でやっていくのだ。そこにおいて練習のための訓練というのはない。すべて自分の分析で得られたことをもとにやっていかなければならないのだ。

     それでもやはり一人でやっていくと自分が何をやっているのか分からなくなってしまう恐れはおおいにある。そのた めにコントロール-一般的にはスーパー ヴィ ジョン言われている-がある。コントロールとは、分析家がひとつのケースで問題にぶち当たってどうしようもないときに、解決法を教えてもらうために偉い先 生に自分の分からないところを聞くためにあるのではけっしてない。それは、一人の分析家がもう一人の分析家にたいして自分のケースを話していく中で自らの ポジションを定めていく作業である。

     分析家としてやっていくためにはまた理論的な構築を行い、実践を適切な概念で把握することも必要だ。ラカンは概 念は肉屋の包丁のようなものであると言っ て いた。それを使って、現実の絡み合いの中に適切な区切りを見つけて、ケースをうまく切り裁いてその構造を把握することだ。

     そしてまたそのためには症例呈示も有用だろう。ただ、ひとつのグループが実践的なものであるためには症例呈示 をしなければならないという意見がある が、 それは間違いだ。そもそも症例呈示とは理論的活動なのだ。精神分析における実践とは分析実践のみであり、その方向を定めるもの、または軌道修正を行うも の、その構造を把握することはすべて理論的活動の範疇に入れるべきであろう。このことを一旦認めた上で、症例呈示のやり方を考えてみる必要があると思う。 日本でよく行われている症例呈示の方法は単にひとつの症例を漫然と紹介しているだけにすぎない場合が多いように思われる。精神分析にふさわしい症例呈示の 方法を探るために、たとえばフロイトの5つの症例とか、優れたラカニアンたちの行っているような症例呈示を少し研究して、症例呈示の在るべき姿を見いだす べきであろう。

     以前、精神分析学会で在る症例発表にたいして集団リンチのような批判を加えていた場面に遭遇したことがあった が、それは精神分析をなにか他のものと取り 違 えているとしか思えず、分析家の養成というものからはかけ離れたものであった。コントロールを受ける者、それを行う者、症例発表する者、それを聞いて批判 を加える者の間には何の上下関係が在ってもならず、すべて同じ土俵でなされるものでなければならない。指導者の立場に立つ者から意見を聞こうという態度 は、分析家としてすべての理想を括弧の中に入れるという立場を失わせてしまい、結局分析を暗示の方向に向かわせるおそれがあるのだ。

     そしてまた自分の実践をもとにして理論的考察を行い発表することも大切である。

     こういったこのとのすべてが精神分析を精神分析として実践するのに必要なのだ。抽象的だということの意味を取り 違えてはならない。理論を洗練すればする ほ ど具体的になるのだ。これはたとえば、物理学理論を見ても明らかだ。物理では理論が精緻になればなるほど物理学的現実をより具体的に把握できる。だから、 「一面土に覆われた庭からやってきたばかりの女性」と「図書館であくせく本を読む男性」 の間では必ずしも現場で泥まみれになっている状態が具体的だとは限らないのだ。

     ラカン理論を批判する人はいまだこのように高度に洗練された理論に遭遇し、真剣にそれに取り組んだことはないのではないだろうか。

     精神分析理論、ことにラカンの理論は難解であるがそれは必然的なものなのだ。その難解さの理由はラカンの 次のような言葉に表れている。「治療の方針」第二章で、ラカンはクリスを批判してこう言っていた-「あなたの意図はまっすぐでも-なぜならあなたの判断も 間違いなくまっすぐなのだか ら -、物事のほうは、曲折している」。

     また同第第五章では、フロイトについてこう言っている。「フロイトのテクストを読み、彼の思考がわれわれに課す るさまざまな紆余曲折にしたがうことにし よ う。彼の思考の紆余曲折については彼自身も科学的ディスクールの理想に照らして遺憾に思い、自分は自分の扱う対象によってそれを余儀なくされたと述べてい る」。

     つまり精神分析理論の紆余曲折はその対象の紆余曲折と同一なのだということである。

     これらの言葉が示しているのは、精神分析理論は必然的に単純な一本の線で引けるようなものではなく、複雑に曲が りくねった現実を反映して、自らも曲がり く ねっているのだということで、そのような理論を把握するにはやはり多大な努力を必要とするということだ。それをただ難解な理論で臨床に役立たないと決めつ けるのは知的な怠慢でしかない。

     Lacan.kill
    向井雅 明

     サークルのURLとメルアドのドメインに killがついているのが不吉だということでちょっと評判が良くないようだ。このHPにはロリポップという会社 のサービスを使っており、始めるときにこの会社が指定するいくつかのドメイン名から選べということなので、なるだけ覚えやすくて打ち込みが簡単なのを選ぼ うと思い、ちょっと刺激的だがかなりインパクトが強い言葉である killを選んだ。この言葉なら余り他には選ぶ人はいないだろうからユニークさは間違いない。
     
     確かにkillというのは言葉を通してなさ れるものである精神分析にはあまり適切ではないかもしれないし、暴力的なイメージがついてしまうという風に取 られてしまうかもしれないが、また一方ではラカンの持っている辛辣な部分、バロックな部分、そして精神分析の重要な概念である「死の欲動」にもつながるよ うな強力なイメージもある。
     
     ところで、ラカンは『他のエクリ』に収録さ れている「真の精神分析と偽の精神分析」を次のような言葉で結んでいる。「精神分析は自らを構成する行為にお いて自分自身を情熱として表し、再びおのれの胸の裡にヴォルテールが欺瞞を罵倒した合言葉を呼び起こすのだ。「下劣なものを踏みつぶそう」、と」。 1958年に書かれた言葉である。ここにはラカンの精神分析を骨抜きにしようとする動き、偽の精神分析にたいする激しい怒りの念が読み取れる。
     
     これを書いていたらドルーズの言葉を思い出 した。「哲学は何の役に立つのかと問われたとき、答えは攻撃的でなければならない。なぜなら、そのような問い は皮肉で辛辣たらんとしているからである。哲学は国家や教会の役には立たない。国家や教会には別の関心事がある。哲学はいかなる既成の権力にも役立たな い。それは悲しませるのに役立つ。誰も悲しませず、誰も不愉快にしないような哲学は哲学ではない。哲学は愚劣をやっつけるのに役立ち、愚劣を恥ずべきもの とみなす」。
     
     これらの文章からは感じられるのは、しっか りと物事を考えるということは単に生活を安逸にすごすことではなく何か暴力的なものに突き動かされるというこ とである。
     これからラカンを真剣に日本に導入しようと いうわれわれにもそのような面が合っても良いのではないだろうか。
     
     精神分析は言葉でなされる。テロ、殺人など の暴力こそが力をふるう今の世界にあえて、言葉は剣よりも強い、ただ傷つける剣以上にパワフルであるというこ とを、あらためてアピールする必要があるのではないだろうか
     
     またkillは切るcouperに通じる。 解釈は切ることcoupureだとラカンも言っているのでその意味でもkillは悪くない。
     
     つまりlacan.kill、ラカンは下劣 なものを切るのだ。
     
     こうした理由でkillというドメインもそ れほど悪くはない。
     
     ちょっとこじつけが強いかもしれないが、私 はこう考えている。もちろんサークルの皆さんがいやだと思われるならば変えた方がよいのは間違いない。
     
     各自のご意見をお待ちしています。
     
      付記… 2007/06/04  サークル員間の活発な議論の結果, ドメインを変更することとなりました. これに伴い,WebのURL,及びメールアドレスを変更致します. 新しいURL,及びメールアドレスは以下の通り. 

     URL:http: //psychanalyse.jp/
     E-mail: info@psychanalyse.jp
     
     旧来のURLも引き続き,使用可能 ですが,
     メインはこちらとなりますので, ブックマークの変更を宜しくお願い致します

     21世紀のラカン
    向井雅 明

     先日このHPでコラムの例として、数 年前に誠信書房に頼まれて書いたものを出してみた。「20世紀が理解しな かったラカン」という題名を付けたのだが、 最初は「変わった人間ラカン」という題であった。だが、あまり編集の人の受けが良くないので現題にした。これをHPにupすると決めた何日か後に、エコー ル・ド・ラ・コーズの機関誌Lettre Mensuelleが送られて来たので、何の気なしに裏表紙を読んでいたら、「20世紀云々」という題名のことが思い出されたのでそれについて一言。

     Lettre Mensuelleの記事では、パリのCite de l'architecture(建築センター?)で展示会場が開設された際に、France CultureのMetopolitainsというラジオ番 組がオープニングを紹介し、そのとき番組を受け持っている建築家Francois Chaslinが「私たちがジャック・ラカンをやるのはこれが初めてだ」と言ったと書かれている。

     番組ではラカンのエクリの中の次の一 節が引用され た。
     ラカンは「建築と建物を区別するも の」を強調して 言う-「それは、建物提供しうる使用法を超えたところで建築を つくりあげる論理の力である。実際、バラックでさえなければ、いかなる建物も、建物をディスクールに近づけるこうした次元を無視することはできない」。

     この引用にたいして、記事を書いた人 はこの引用は たいへん適切なものだと手放しでほめている。

     さて、私は上のコラムで20世紀はま だラカンを理 解できなかったと書いた。では、果たして私たちが今いる21世 紀はラカンを理解するであろうか。私たちは今ラカンが世界に受け入れられるか、それとも過去のものとして葬り去られるかの境目にいるように思える。一方で は、ラカンだけではなく精神分析そのものがamerican way of lifeによって潰されようとしている。そもそも精神分析は支配的ディスクールとうまくやっていくことは難しいのだ。

     しかしその一方、この建築家のような 例もある。そ もそも、建築家のような精神分析とは直接には関係のない人が、 一般の人には秘境のようなエクリの迷路から、このように見事な引用を取り出してくるということ自体、私たちには驚きである。日本では何人の精神分析に携 わっている人がエクリから適切なラカンの引用を取り出せるだろうか。このような例をみせられるとフランスのラカンへの関心の広がりと理解の高さを改めて見 せつけられる思いだ。このような現象は単なる偶然かもしれないが、ひとつの徴候として、私たちにラカンは世界に受け入れられつつあるのだという希望を抱か せる。

     20世紀が 理解しなかったラカン
    向井雅 明

     フランスではラカンについてのいろい ろな人の証言 がたくさん出されている。彼の死後20年以上経ったつい最近 も、生前ラカンに近かった人たちとのインタ ビューを集めた『カルチエ・ラカン』という本が出て話題を呼んでいる。それらに目を通すと、ラカンというのはとても変わった人間であったようで、一体どん な人間だったのだろうという興味が湧いてくる。

     では何がそんなに変わっているのかと いうと、それ を一言で言うのは簡単ではない。別のところでも述べたことがあ るが、彼は様々な面を持った人間で、見る 角度によって全く違うプロフィルを見せてくれる人なのだ。多彩な人と言っても良いであろう。フロイトのイメージは、まじめな研究者としてのグレーな色調が 似合っているのにたいして、ラカンは色彩に富んでいるのだ。

     色が出たので色っぽい話として女性関 係を見てみれば、フロイトがおそらく生涯妻のマルタしか女性は知らなかった のにたいして、ラカンは女性関係での艶聞 が絶えず、かなりのドンファンであったようだ。また服の趣味にしてもフロイトはいつも地味なスーツでネクタイをしているのにたいして、ラカンの服装の趣味 は派手であった。若かった頃はかなりダンディーであったが、年を追うにつれ奇抜と言ってもよいような格好、趣味がよいと言うより、ちょっとぎょっとするよ うなものを好んだ。

     このような週刊誌的な興味をそそる事 柄も、ラカンのひとつの面を見せてくれるという点では貴重であって、単なる インテリという枠内に収めることのできな いラカンのユニークさを感じさせてくれる。知的な冒険者としてのラカンとこの社交的な俗物が不思議な割合で混合し、表現しがたい魅力を持った「変わった人 間」ラカンを作りあげているのだ。

     では、知的な側面から見るとラカンは どのような人であったのだろう。

     フロイトの知的背景と比較すると、ラ カンのそれは哲学的なものの比重の大きさである。もちろんフロイトにも哲学 的な言及にことかかないが、フロイトはど ち らかというと哲学的な思弁を嫌い自然科学的な実証主義を拠り所にしようとしたのにたいして、ラカンは大きな哲学的素養を持ち、哲学者を持ちだして自分の理 論の構築の支えとすることも少なくなかった。

     現代のフランスは哲学的には世界の中 心とも言える地位を占めており、戦後の哲学界を常にリードし、哲学的運動の 中心となる哲学者たちを多く輩出してき た。これらの哲学者たちとラカンは共に歩き、彼らから様々なものを吸収し、また彼らに大きな影響を与えてきたのである。ざっと名前を挙げると、サルトル、 メルロ=ポンティー,レヴィ=ストロース、アルチュセール、バルト、デリダ、ドゥルーズなど現代哲学のそうそうたる顔ぶれである。またフランス人ではない がハイデッガーの名前も忘れることはできない。

     ラカン自身は哲学者ではなかったし、 自分が哲学者 の中に入れられることをはっきりと拒否したであろうが、精神分 析理論が哲学と深い関係を持っていること を誰よりも理解していた。というのも、精神分析理論というのは主体についての理論であって、主体についての理論というのは精神分析が誕生するまでは哲学が 多くの点でそれを引き受けていたからである。またラカンがする歴史上の大哲学者の解釈は非常に興味深いものが多く、哲学の教授からは得られないような新鮮 さを持っていた。

     フランス現代哲学の多くの人たちは文 科系の知識を 重要視し、数理系の知識にあまり重きを置かないと言う傾向があ る。サルトルもそうであったし、ドゥルー ズもそうであった。フランス哲学は英米の実証哲学にたいしてその点で遅れをとっている。その中でラカンは科学に大きな地位を与え、フランスの哲学の流れに 逆らって科学的な観点、数学的な考えを自らの思想に導入することを躊躇しなかった。たとえばゲーデルの不完全性定理に数学の外であれほどの重要性を与えた のはラカンが初めてであろうし、彼の最後期の結び目の理論も一線の数学者と共に開拓していったのであった。

     哲学、科学的な背景に加えて彼の芸術 的なものとの 繋がりも強いものがあった。彼自身は芸術家ではなかったが芸術 家とは親しい関係にあり、戦前ではダリと かのシュールレアリスムの連中と親交を深めていたことは有名であり、また二番目の妻、シルビアもジョルジュ・バタイユの妻だった人であり、彼女自身も女優 であった。文学的にも現代、古典と広い分野に深い造詣を持ち、文学研究家にも考えつかないような切り口で様々な作品を料理するやりかたは見事である。文学 に関係して文体ということに触れると、彼の持っている文体は難解だということで有名で、これは彼の「変わった人間」らしさをまさに表わしており、それには 奇妙なという意味を持つバロックという評価がなされている。

     このように、ラカンの持っている知的 背景のすべて は第一級のものであり、かつラカンのマークが深く印されている のである。彼が残したものを知れば知るほ ど、ラカンのスケールの大きさに驚かされる。おそらく20世紀が生んだ歴史的な人間の一人であるといっても言い過ぎではあるまい。だが20世紀は十分にラ カンを評価したとは言えない。おそらく彼の本当の価値が認められるのはこの21世紀であろう。フィリップ・ジュリアン著『ラカン,フロイトへの回帰』を訳 したのもそのような思いからである。ラカンの弟子の一人であるジャック=アラン・ミレールはラカンの前で感じた印象をこう表わしている。「アルチュセール などと一緒にいると現代の優れた一哲学者の前にいるという感じであったが、ラカンを前にすると何かプラトンとかデカルトのような歴史上の人物がいるような 気がした」。これはラカンを作りあげている様々な面が醸し出す圧倒的なイメージなのである。

     ラカンのもっている様々な面は上に述 べたものだけ ではもちろんない。ここでは紹介できなかった彼の重要な一面に 臨床家としてのラカンがある。そこにもや はり「変わった人間」ラカンが顔を出しているのだが、残念ながら紙面も限られているのでまた別の機会に譲ることにしよう。

    『誠信プレビュー』第79 号(誠信書房), 2002,pp.5-8.

  • コ ラム(Columns)

    このページは,会員の書いたコラム(精神分 析・ラカン・フランス:パリの状況等
    広い意味で精神分析に係わるもの)を紹介していくページです。

    Columns index
      ・  無限の愛                  - 向井雅明  New
  •  ・  フロイト思想研究会            - 向井雅明  
      ・  21世紀のシュレーバー研究      - 松本卓也
      ・  ラカン理論によるヒステリー      - 向井雅明
      ・  精神分析のためのグループについて      - 向井雅明  
      ・  発言すること                - 向井雅明
      ・  精神分析における理論と実践     - 向井雅明
      ・  Lacan.kill                   - 向井雅明
      ・  21世紀のラカン             - 向井雅明
      ・  20世紀が理解しなかったラカン   - 向井雅明
     

         
     無限の愛

     

    東京大学のUTCPから『UTCP Booklet 20号 精神分析と人文学』という冊子が送られてきた。昨年、パトリック・ギュイヨマール氏が来日しUTCPで講演した際、原和之氏に呼んでいただき、その上このような刊行物まで送っていただいて大変ありがたく思っている。これと一緒に送られてきた原和之氏のフランス語論文集と併せて興味深く読ませていただいた。

    当日、ギュイヨマール氏の発表のあったあと、二つ質問が出た。小林康夫氏と私のものであるが、双方とも同じ問題点についてであったのは偶然ではないだろう。ラカンのセミネール第十一巻の最後のフレーズの解釈についての問いで、これはラカニアンの間でもいくつかの解釈があり問題になる部分である。

     

    原文を挙げよう。

    L’amour, dont il est apparu aux yeux de certains que nous avons procédé en au ravalement, ne peut se poser dans cet au-delà où, d’abord, il renonce à son objet. C’est là aussi ce qui nous permet de comprendre que tout abri où puisse s’instituer une relation vivable, tempérée, d’un sexe à l’autre nécessite l’intervention — c’est  l’enseigne­ment de la psychanalyse — de ce médium qui est la métaphore paternelle.

     

    Le désir de l’analyste n’est pas un désir pur. C’est un désir d’obtenir la différence absolue, celle qui vient quand, confronté au signifiant pri­mordial, le sujet vient pour la première fois en position de s’y assujettir. Là seulement peut surgir la signification d’un amour sans limite, parce qu’il est hors des limites de la loi, où seulement il peut vivre.

     

    この部分は次のように訳されている。

    「ある人々からすれば、われわれが愛を貶めているように見えたかもしれませんが、愛が措定されるのは、何よりも愛がその対象をあきらめる彼岸においてだけなのです。これによって次のことも理解できます。つまり一方の性の他方の性に対する、生きることのできる穏やかな関係が打ち立てられうるような避難所には、父の隠喩という媒介の介入が必要である、ということです。

    分析家の欲望は純粋な欲望ではありません。分析家の欲望は絶対的な差違を得ようとする欲望です。絶対的な差違というのは、主体が原初的シニフィアンに直面して、それに従属する位置にはじめてやって来るとき、そのときに介入する差違です。ここにおいてのみ、限界のない愛の意味作用が浮かび上がります。なぜならその愛は法の諸限界の外にあり、愛はそのような外部においてのみ生きることができるからです」。

     

    読者の関心の焦点は最後の部分に集中するだろう。このような愛は可能なのであろうか、そもそもそれはいったいどのようなものであろうかといった疑問である。小林康夫氏の問いはそれに関したものであった。

     

    ギュイヨマール氏はこう書いている。

    「そこにおいてのみ愛が生きることができる、法の限界の外部にある、この愛とは一体何だろうか。私の提案は、ラカンが語るこの愛のうちに、断念としての愛(殺害や供犠にまで至る純粋欲望から区別された非ナルシシズム的な愛)、このテクストにおいて(父性隠喩をめぐって)人間の共同体と名付けられているものへの呼びかけを見るということだ。それは破門〔共同体から排除(ex-communiquer?)〕することのない共同体である。それは分析家の共同体でもある。

     

    このギュイヨマール氏の返答はあまり私には納得できない、なにかロマンチックな理想的な愛を描いているように見えるからだ。

    私の質問は「そこに何かロマンチシズムのようなものがありはしないか。一体、限界のない愛とは何だろうか。精神病的な愛とどのように違うのだろうか」というものであった。以前コレット・ソレールが限界のない愛とは精神病的な愛だというのを聞いたことがあり、この点を明確にしたかったのだ。

    問題はラカンがこの文章の最初の部分に、生きることができるような穏やかな関係には父性隠喩が必要であると言っているところにある。父性隠喩はやはり一つの法であるから、法の限界の外にある愛というものは穏やかに生きることは困難な愛のはずである。そこに何か熱情的なロマンチックな愛を見るのは不思議ではない。

     

    そこでこの文章を少し違った風に読めないのかと考えてみた。

    問題の最後のフレーズ「Là seulement peut surgir la signification d’un amour sans limite, parce qu’il est hors des limites de la loi, seulement il peut vivre.」には関係副詞「」がある。ラカンの文章では関係詞などが何と繋がっているかを判断することが困難な場合が多い。この文章の「 も一見するとこの訳者のように法の外部と取るのが自然である。ギュイヨマール氏もそう取っている。

    しかしそれでは上の問題が出てき、文章の整合性が疑わしくなる。そこでこの「」が何か他の先行詞を指すことができるかを探してみよう。フレーズの最初に「」という副詞がある。少し遠いが、これを「」の先行詞と取ってみることもできよう。「

    Là …, où ….」と受けるのは自然な表現である。そうすると訳はこうなる。「ここにおいてのみ、限界のない愛の意味作用が浮かび上がります。なぜならその愛は法の諸限界の外にあり、愛は限界のない意味作用が浮かび上がるその場所でのみ生きることができるからです」。 

     

    このように解釈すると、もはやラカンが法の限界の外の愛を説いていると考える必要は無くなる。限界の無い愛の意味作用が浮かび上がるところとは何を意味するのであろうか。それを理解するには同じ段落にあるが引用されていない最初のフレーズを参照しなければならない。

    Position limite, qui nous permet de saisir que l’homme ne peut esquisser sa situation dans un champ qui serait de connaissance retrouvée, qu’à auparavant  rem­pli la limite, où comme désir, il se trouve enchaîné.

    日本語訳は次の通り。

    「これは極限の位置であり、これによって我われは、次のことを把握することができます。人間は、あらかじめ自分が欲望として繋がれている限界をあらかじめ極めた上で初めて、再発見された知識に属するような領域における自らの状況を素描できるのです」。

    この部分には、「L’amour, dont il est apparu aux yeux de certains que nous avons procédé en au ravalement, ne peut se poser que dans cet au-delà où, d’abord, il renonce à son objet.というフレーズが同じ段落内に続く。ここにあるd’abordという言葉は「何よりも」と訳されている。しかしその意味は前の段落の「auparavantあらかじめ」とおなじであり「まず最初に」と訳すべきである。そうすると人間は、一端、対象をあきらめた後に愛が据えられるという意味がはっきりとする。

    このすぐ後の部分では、生きることのできる、父性隠喩による愛が問題になっている。フレーズの冒頭にある、「極限の位置」とはカント的欲望、超自我的純粋欲望の命令の場所を指している。つまり人間は純粋欲望の極限というものを経験して初めて愛を生きることができるのだと言っているわけである。

    最後の段落では、主体は原初的シニフィアンに直面して初めて無限の愛の意味作用、つまり、カント的な欲望の意味作用を知り、その後に初めて生きることができる、というようなことが言われている。このように読んでいくと、結局、最後の段落は最初の段落と分析家の欲望とを絡み合わせて繰り返しているのだということがあきらかになる。

     

    セミネール十一巻の最後の部分はこのように読むと整合性が保たれるであろう。

     

     

     フロイト思想研究会
    向井雅明

     28日のフロイト思想研究会の最後に設けられたシンポジウムの発表では四人の先生方がそろって、21世紀には精神分析は廃れる、とか、フロイトは思想としてのみ残るだろう、などと発言していた。四人の方のうちで三人は精神分析実践とは関係のない方であるからまあ仕方あるまいとしても、自分は精神分析をやっているという発言者までがそう言うのには全く失望してしまった。ちなみに、シンポジウムのテーマは「実践されるフロイト思想」であったが、これではまるで「埋葬されるフロイト思想」ではないだろうか。
     そしてまた彼らの口からは、現代においてフロイトの継承者と見なされるべきラカンの名前がほぼ抑圧されたように出てこなかったことももうひとつの驚きであった。
     そこで私はシンポジウムの最後に「精神分析理論というのは生きているものであって、時代によって変わっていくものだ。現代の精神分析においてはラカンの名を無視することはできず、フロイトの理論といえどもラカンの理論展開をふまえて遡及的に理解することが必要だ。皆さんの発表もこの点を考慮してなされば遙かに興味深い物となったことでしょう」というようなことを会場の側から、ちょときつかったが、発言した。
     私自身にもこれから精神分析が発展していくか衰退していくかはわからない。だがそれを言う前に精神分析とは本質的に何であるかをよく考えてほしい。
     フロイトが「精神分析はペスト」だとか自分は「冥界を動かす」など言ったのは意味のないことではない。彼はすべての者が忌み嫌い、避けて通ろうとする世界の扉を開こうとしたのだ。この世界では市民権を獲得することのできない次元のものにひとつの場所を与えようとしたのだ。そういうものがこの世でディスクールとして成立すること自体、ひとつの奇跡である。フロイトはそれを行った。だが、この扉は一度開いたとしてもそのままではやがて閉じてしまう運命にある。フロイト以後それは閉じられる方向に向かった。そこにラカンがやってきて流れを変えようとした。そしてラカンが生きているうちは確かに流れは変わった。この意味でラカンはフロイトと同じく奇跡を起こした人間なのだ。
     だから、現代においてフロイトを語るにはラカンとともに語る必要があるのだと言うのだ。
     問題は精神分析が発展するか廃れるかではない。フロイトの後を引き継いでいこうとする人間がいるかいないかなのだ。これは理論ではなく実践の問題である。単に精神分析は凋落するということを繰り返すだけでは凋落に荷担するだけであり、それは世界の一般的で自発的な傾向に従っているだけなのだ。

     21世紀のシュレーバー研究
    松本卓也

     精神医学の世界でもっとも古くから刊行されている雑誌の一つである『神経精神疾患ジャーナル(The Journal of Nervous and Mental Disease)』誌の2007年8月号に、「シュレーバーのうなり声の奇蹟」(*1)と題された論文が掲載されている。
     著者グレーム・マーティンはシュレーバーがその著作『ある神経病者の手記』で語っている「奇蹟」を八つ取り出し、コンピューター(ATLAS.ti)を用いたアナライズを行い、八つそれぞれの「奇蹟」がシュレーバーの著作のなかでどれだけの頻度で出現するかを調査している。結果は以下の通りである。


     このように、『ある神経病者の手記』における奇蹟の出現頻度で言えば、「うなり声の奇蹟」が最も多く、「脱男性化」の奇蹟はより少ないことが分かる。
     フロイトのシュレーバー論である「自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察」において議論の中心となっているのは、神=父=フレックシヒ教授という父性的なセリーに対する同性愛的欲望に対する防衛(とその失敗)であり、フロイトはこれをパラノイア精神病の原因とみている。後にラカンはこの同性愛的欲望はパラノイアの原因なのではなく、むしろ《父の名》の排除という構造(の不在)から帰結する症状過程であるとすることによって、精神病の構造的条件としての「父の名の排除」の理論を完成させている。また、フロイトは「脱男性化」の妄想にエディプス・コンプレックス理論における「去勢」の対応物を見て取っている。
     しかし、マーティンは上記の統計の結果から、以下のように結論づける。――シュレーバーは、同性愛や神の妻となるための「脱男性化」に苦しんでいたのではない。シュレーバーが最も苦しんでいたのは「うなり声の奇蹟」である。
     マーティンの論述は、次第に事件を追う名探偵さながらの筆致となる。マーティンはシュレーバーの「うなり声の奇蹟」をチック障害、とりわけトゥレット症候群と診断するのである。トゥレット症候群とは、シャルコーの弟子であったフランスの神経科医ジル・ド・ラ・トゥレットが記載した疾患であり、運動チックと音声チックを伴い、顔面の素早い動きや一定の動作の繰り返し、叫び声やうなり声、さらには汚言症(罵りや卑猥な内容を不随意に発声する状態。コプロラリア)を特徴としている。この疾患は確かにシュレーバーの症状と一致している。
     念のため、シュレーバーがゾンネンシュタインに長期入院していた時期の主治医であったヴェーバー博士による記述と照らし合わせてみよう。「しばしばうまく聞き取れないこともある罵りの言葉(たとえば、「太陽は売女だ」など)を、一本調子に、果てしもなく繰り返し発する」(S.383-384)、「一見してこれは病的だと考えざるをえなくなる精神運動性の症候」(S.385)、「顔面筋肉の痙攣と両手のひどい震え」(S.380)。同様のチック様の症状は、バウマイヤーによって発見されたシュレーバーの入院中のカルテにも記載されている。
     ただし、トゥレット症候群は一般的には18歳以下に発症する疾患であり、この点はシュレーバーには当てはまらない。現代の精神医学において広く使われている診断基準DSM IV-TR(『精神障害の診断と統計の手引き』)でも、トゥレット症候群の診断基準のひとつとして、「18歳以下に発症すること」があげられている。この難点に対応するために、マーティンは近年報告されている「成人発症のトゥレット症候群」の議論を持ち出し、シュレーバーのチックはこの成人発症型にあたるとしている。さらには、ストレプトコッカスの感染がトゥレット症候群の発症の原因になるという最近の研究を持ち出して、シュレーバーには肺の感染症があったのではないかと推論している。そして、シュレーバーの「胸部狭窄奇蹟」は、まさにこのストレプトコッカスによる肺炎によるものであったのではないかと結論づけている。

     ここまでその内容を概観してきたマーティンの2007年の論文に顕著なように、症例シュレーバーをめぐっては、その著作の内容の分析をもとにして、「パラノイア」という診断を批判する議論が数多く存在している。1980年代にはシュレーバーは「うつ病」であるとする論文(*2)(*3)がいくつか発表されており、シュレーバーの主治医によって下された「パラノイア」という診断を堅持するフロイトへの批判も相次いでいる。
     なかでも決定的な議論となったのは1992年に刊行されたロターヌの『シュレーバーを弁護する』(*4)であろう。マウントサイナイ医科大学精神科教授であるロターヌは、前述のマーティンの師にあたる。彼はバウマイヤー(*5)やイスラエルス(*6)の先行研究をもとに、シュレーバーに関する膨大な伝記的事項を強迫的なまでに収集し、シュレーバーはパラノイアではなく「うつ病」であると宣言している。さらにはシュレーバーに関する先行研究のほぼすべてを網羅し、それぞれの内容の紹介とコメントを行っている。これまでのニーダーランド(*7)やシャッツマン(*8)による研究では、父モーリッツ・シュレーバーの厳格にすぎる拷問的教育によって、子シュレーバーの「魂の殺害」が行われたとする議論(子供のパラノイアの原因は父の教育である)が有名になっていたが、ロターヌはさらに二人の主治医フレックシヒとヴェーバーのそれぞれの論文や伝記的事項を徹底的に調べあげた上で、シュレーバーの「魂の殺害」を敢行したのは父だけではなく、当時の精神医学なのだと結論づけている。たとえば、シュレーバーの初期の主治医フレックシヒ教授は、「ヒステリー女性の子宮を摘出することによって治療する」(現実的な去勢!)という内容の論文を書いており、これを読んだシュレーバーが自らも去勢される(脱男性化)と思ったのではないかという推論をおこなっている。後の主治医ヴェーバーにいたっては、病気が寛解したシュレーバーをなおも禁治産者の地位にとどめておくために、何度も執拗に裁判所へ精神鑑定書を送付した悪人として描かれている。一読して分かるように、ロターヌの議論は基本的に反精神医学および反フロイト主義の系譜に属するものである(この著作の裏表紙にサズとグリュンバウムによる推薦文が掲載されていることからもこのことは伺える)。

     私たちがこのようなシュレーバー研究を読んで感じるのは、構造論の決定的な不在である。彼らのシュレーバーについての議論は基本的にDSM流の操作的な方法で行われており、個々の疾患の診断基準の症状を満たすか満たさないかということが問題となっている。これはシュレーバーの診断上の問題にとどまらず、シュレーバーの伝記的事項の解釈においても同様の事態が生じていると見てよい。
     このようなシュレーバー研究に対して、私たちはラカンの次のような言葉をもって答えることができるだろう。「どんな想像的形成物〔=症状〕も疾患特異的なものではなく、構造における決定因でもなく、〔精神病の〕過程における決定因でもない。」(E546) つまるところ、精神分析では、症状の有無によって診断を行ってはいけないのである。同性愛があるからといってパラノイアだと決め付けるわけにはいかない。なぜなら、同性愛および自分の身体の性別と精神の性別の不一致は、精神病だけではなくヒステリーにも見られる症状だからである。
     ラカンの精神病論は「精神病のあらゆる可能な治療の前提となる一つの問題について」と題されているが、この「一つの問題」とは、「父の名」を中心とした構造論の問題である。「父の名」こそが「ふたつの領域〔精神病と神経症〕のあいだの境界に架かる橋」(ibid.)となり、「神経症と精神病の間に求めるべき最低限の相違」(ibid.)を定義するための構造論的な鍵となるのである。ラカンのこのような精神病論の方法は、前述した幾多のシュレーバー研究の操作的な方法とは決定的に異なっている。

     一方、現代の精神医学の状況に目を向けるなら、ここでも決定的な変化が生じはじめている。現行のDSM-IV-TRの改定版であるDSM-Vは2011年に発表される予定であり、現在は改定のための作業が進められている。この動きのなかで特筆すべきものは、「精神病を脱構築する[Deconstructing Psychosis]」というDSM改定のための中間報告である。この報告では、統合失調症、双極性障害、分裂感情障害、短期精神病障害、精神病性うつ病などを包括する「全般性精神病障害」の概念が提唱されているが、この「全般性精神病障害」という用語が意味する範囲は、まさにラカンが「精神病」と呼んでいる範囲と同じであると筆者は考えている。また、この中間報告では、これまでDSMで行われてきた操作的診断によってカテゴリーを決定する診断の限界に直面して、カテゴリー診断からディメンジョン診断への移行までもが議論されているのである。
     
     このような現代の状況を考慮に入れるならば、現代においてシュレーバーを論じる際に、もはやシュレーバーの診断が「パラノイア」或いは「うつ病」「トゥレット症候群」なのかという問題にとどまることは許されない。また、DSMを認めるか認めないかという卑近な問題にとどまることも許されないだろう。21世紀のシュレーバー研究には、これらの議論を包括した「全般性精神病障害=精神病の解明」が必要とされている。


    本文中で言及したシュレーバーに関する文献は、以下の通りである。

    1) Martin G., Schreber's "bellowing miracle": a new content analysis of Daniel Paul Schreber's memoirs of my nervous illness., J Nerv Ment Dis. 2007 Aug;195(8):640-6.
    2) Koehler KG., The Schreber case and affective illness: a research diagnostic re-assessment., Psychol Med. 1981 Nov;11(4):689-96.
    3) Lipton AA., Was the "nervous illness" of Schreber a case of affective disorder?, Am J Psychiatry. 1984 Oct;141(10):1236-9.
    4) Lothane Z., In Defense of Schreber: Soul Murder and Psychiatry, Analytic Press, 1992.
    5) Baumeyer F., The Schreber case. Int J Psychoanal. 1956;37:61-74.
    6) Israels H., Schreber: Father and Son. Madison (CT): International Universities Press, 1989.
    7) Niederland WG., Three notes on the Schreber Case. Psychoanal Q. 1951;28:151-69.
    8) Schatzman M., Soul Murder: Persecution in the Family. London: Allen Lane, 1973.

     ラカン理論によるヒステリー
    向井雅明

     このテクストはある演題募集に応募したけれど通らなかったものです。紙面が限られていたので説明の足らないところもあると思いますが、ヒステリーというものの理解の手がかりにはなると思いますので、参考にしていただきたいと思いコラムに載せることにしました。
     
     エジプト時代の文献にも見られるように、ヒステリーは最も古くから知られている「病気」である。しかし、それにも拘わらずヒステリーの医学的地位については、現在まで明確にされていない。とりわけ現代では、ヒステリーは消失したとさえ言われているのであるから、ヒステリーがまともに取りあげられることさえ少なくなっている。だが、ペニシリンなどの特効薬が発明されたのならまだしも、太古の時代から存在する病が現代になって突然無くなるということがあるのだろうか。もしそうだとしたらそれはなぜだろうか。
     ヒステリーは時代によってまったく異なった扱いを受けてきた。西欧におけるヒステリーの歴史の中では、まずエジプト~ギリシャ時代には子宮から生じる女性特有の病だとされ医学的に扱われていた。中世では宗教が医学に取り代わるようになる。神と悪魔の戦いが女性の体の中で行われ、悪魔を追い払うにはエクゾシストの祈祷を必要とするのだ。その後、教会の権威が失われヒステリーは再び医学の手に戻っていく。その代表とも言えるシャルコーは男性ヒステリーを認め、またヒステリーと暗示の関係が強調された。
     その後に来るのがフロイト、そして精神分析である。そもそも精神分析の誕生はフロイトとヒステリーの出会いによってなされたのであり、精神分析の中心的技法である自由連想もヒステリー患者の提案を下に考え出された。当時ヒステリーはシャルコーによって医学的に取り扱われていたが、フロイトはそれを脱医学化させたと言ってもよいであろう。フロイトによるヒステリーの脱医学化とは何を指すものだろうか。
     それはまずフロイトが、治療者として患者を治療しようという、医者としての支配者的な立場を捨てて、逆にヒステリー患者の言うことにしたがって話を聞き、ヒステリーから何かを学ぼうとしたことだ。支配者的立場を捨てるのは、同時に、ほとんどの医学的治療の場で作用する暗示による治療効果に頼らないことにもなる。
     フロイトは患者の言うことを信じ、そこには必ず真理が含まれていると考えた。だが、医学で必要なのは病気についての情報であり、真理は必要のないものである。これは精神分析がまさに真理と呼ばれる主体的領域の問題を扱うもので、病という言葉では捉えられないところにあることを示している。ヒステリー患者は自分でも知らないところにある真理によって苦しめられるのであり、それを明らかにすれが「病」から解放されるとフロイトは考える。それは忘れられた記憶であり、ある記憶が事後的に姿を変えて意識世界に戻ってくるのだ。患者にとってそれは想い出したくない記憶であり、同時に意志とは関係ない場から戻ってこようとする記憶である。フロイトはこの考えから無意識というものを想定し、また無意識の主体を想定する。ヒステリーが症状で悩む姿は、このように、無意識から出てこようとする主体と、それにたいして完全に無知のままでいようとする主体とのあいだのの葛藤として取りあげられる。ゆえにそこでは、主体は分裂しており、無意識的主体がはっきりと認めらるのだ。これは単に非医学化というだけではなく、非心理学化とさえ言える考えである。なぜなら、心理学的な主体とはエゴのように常に、自律性を持ち、統一された主体だからである。
     また治療という面では、ヒステリーにたいする精神分析的治療は、何の薬物も使わず、フロイトがヒステリー患者そのものから学んだ自由連想法という、ただ言葉だけを仲介になされる手段である。
     こうした点がフロイトがヒステリーを脱医学化したというゆえんである。
     フロイトが活躍していた頃は精神分析はヒステリーと共に歩んでいたが、彼の没後、精神分析は徐々にヒステリーから遠ざかっていった。それとともに、精神医学においてもそれまでの典型的なヒステリーの希薄化によって、ヒステリーの存在自体が疑われるようになる。現代では精神医学のマニュアル化が進み、精神疾患は原因ではなく症状で分類され、DSMではヒステリーという病名はもはや扱われず、解離性障害、身体表現性障害、パニック障害、摂食障害などの個別の症状の次元で扱われるようになっている。このことは一方ではヒステリーが再び医学化したとも言えるし、またヒステリーという疾患単位が無くなるのであるから、医学から完全に離れてしまったとも言えるだろう。
     ヒステリーとはこのように実体を掴むことの困難な概念であり、ヒステリーとは何かという問いそのものがヒステリーの中心的な問題となるのだ。
     現代の精神分析の諸潮流のなかで、ヒステリーをもっとも重要視しているのはラカン派であろう。紙面が限られているので近似的な表現にならざるを得ないが、ここでラカンのヒステリー論を考察する中でヒステリーとは何かを明らかにしていきたい。
     ラカンはまずフロイトへの回帰というスローガンをもって精神分析理論を展開していった。その方法は、言語学を利用して、フロイトの諸理論にたいする根源的な再考察を行い、精神分析の理論化を図るというものであった。
     そもそもラカンは、最初から主体を分裂したものだと考えていた。ラカンの最初の理論化とも言える有名な鏡像段階では、鏡の中の像は統一された完全な身体像として理想像となり自我Moiの根幹を構成する。一方、未熟な状態にある私Jeとしての主体は自らの主体的混乱を弁証法的に解消し、Moiに到達しようとするするのだが、JeはMoiに完全に到達することはなく常に漸近線的な接近に終わるのだ。ここでは主体がイメージを巡ってJeとMoiに分裂したものだとして考えられている。
     つぎにラカンは言語学的考察を下に主体を考えようとする。彼の理論展開は、人間が言語世界に入っていくことによって必然的に主体は分裂したものとして生まれるというものである。つまり主体は、言語世界にはいることによって言語的存在-名前、肩書き、性別、職業などを-獲得し、言語世界のなかで顔を持った意識的な主体となるが、他方では、書き込まれた言語的存在と書かれる場所である現実的存在の間に、数学で言う空集合のようなギャップが生じ、言語的存在を持たない主体が生じる。後者は自らの名前、シニフィアンを持っていないもので、自らの存在が欠如し、存在を求める主体として、ラカンは斜線を引かれたSと名付ける。ここでは意識的、自我的な存在と、無意識的な存在欠如という形で主体の分裂が考えられている。
     ヒステリーとはこの存在欠如としての主体が、自らの存在を求めて真理というかたちで意識的、自我的な世界に姿を変えて介入することである。存在を獲得しようという動きは、二つのものに要約される神経症の問いとして現れる。ひとつは私は生きているのか死んでいるのかという問い、もう一つは私は女なのか男なのかという問いで、それぞれの問いに神経症の形態が対応する。前者は強迫神経症的、後者はヒステリーである。しかしそこには二種類の構造があるのではなく、双方共にヒステリーだと考えられる。このように見たときの強迫神経症はヒステリーの一種の方言だと考えられているのだ。
     ヒステリーというのはそれゆえに主体の分裂そのものを示すものと言える。後にラカンは、主体の分裂としてのヒステリーをもとに、一つの社会関係として「ヒステリーのディスクール」というものを理論化した。次のような式で表されるものである。

     S/ →  S1
     a  // S2

     S/は斜線を引かれた主体で、これは支配者的シニフィアンであるS1にたいして、自分の苦しみのもとになっている真理aについての説明を求めて問いかける。そこでS1の位置に置かれた者は一つの知S2を創りだして返答しようとするのだが、それはヒステリーの真理の位置に置かれた享楽を説明することはできないままに終わり、ヒステリーの問いは続けられるというものである。
     この図式から、ヒステリー者が僧侶、医者、政治家など社会における父親的、支配者的立場に置かれる人たちと関係を持とうとする理由が説明される。父親的、支配者的な人たちはヒステリーの問いに答え持っている者と見なされ、彼らにたいしてさまざまな難問が出されるのだ。ヒステリー者はさまざまな症状を携えて医者を訪れるのだが、あらゆる検査をくり返しても原因はわからないままに終わる。医者が支配者的な態度を取り、問題を解決する能力を誇示すればするほど、ますます解決不能な問題が出され困難な状況に陥るのである。
     父親的な立場に立つ人は、その結果、自らの無能さを露呈することになるのだが、このように、いわば去勢された父親はヒステリー者が自らの存在を確保するために愛される存在でもある。不能な父親を支えることを存在の根拠とするのだ。
     こうしてみると、ヒステリーはもはやひとつの病とは言えないであろう。それは主体の存在、いやむしろ存在欠如そのものであり、自らの存在を求めて、その時代時代で支配者的な姿をとる者と関わっていこうとする行為の表れである。ヒステリーが時代によってまったく姿を変えるのは、自らが置かれた社会におけるS1の姿の変化にカメレオンのように対応しているからである。現代においてシャルコーの時代にあったような大ヒステリー症状はもはや出てこない。現代のヒステリーはむしろ科学的手段ですべてを解決しようとする医学にたいして、いかなる科学的検査をも無効にしてしまうような症状を持ち出すというものとなる。
     こうした意味でヒステリーは決して無くなることはないであろう。ただ、現代医学にとっては決して見えない存在なのである。そしてそれに対処できるのは、ヒステリーによって生みだされた精神分析だけである。したがって、DSMのようにヒステリーを否定することは、精神分析を否定することなのだ。
     

     精神分析のためのグループについて
    向井雅明

     このコラムの最後に「発言すること」という記事を書いた。そこでアラン・バディウーから聞いた毛沢東のエピソードについて触れ、グループを発展させるために自由連想法を応用するように提案した。だがあまり理解されなかったようだ。それどころか毛沢東主義などのレッテルまで貼られる始末である。そういえば、かつてバディウも、同じような決めつけをされたことを思い出す。

     批判のひとつは、グループにおいては分析の場でなされるような、自由連想的な作業はできない、というものであった。分析において分析主体analysantは自由連想の作業をするのであるが、グループにおいて同じようなことはできないというのである。だがラカンは、「教育の場において私は分析主体analysantとして在る」と述べている。教育の場、すなわち自ら設立したグループのなかでも分析主体として作業すると言っているのだ。

     分析主体analysantとして在るというのは、まず分析家analysteとしてではないということである。つまり相手に作業をさせるのではなく、自分自身が作業するのだ。それはまた支配者という、他人に何かを命令する立場でもない。四つのディスクールにしたがって大学のディスクールを取りあげると、知を携えてそれを誰かに教え込む者としてでもないのだ。

     分析主体として在るということは、ヒステリー的な分裂した主体として自由連想の作業のなかで知を見つけ出していこうと振る舞うことである。

     分析のセッションのなかでは作業は分析家への転移下でなされる。ではグループの中の作業において転移は成立するのであろうか。ラカンはグループにおいての「分析作業」では、転移が向けられるような分析家は存在しないが、グループが転移の支持として作用すべきである考える。それをラカンは「作業の転移」transfert de travailと呼ぶ。たとえばラカンの言うグループは、軍隊のように、グループの主導者のような人にたいして転移が成立するというものではない。もし、指導者に転移をおこして行動するようなスタイルを採るなら、分析的グループを他のものとを区別することはできない。こうした「作業の転移」によってのみ分析グループの中での作業が可能になるのだ。

     ラカンは、知を発見していく分析主体はヒステリー的存在である、と述べている。精神分析の主体、「ヒステリー的主体」は科学から排除された主体であり、科学のディスクールはヒステリーのディスクールと共通しているということを踏まえれば、知を追求するという立場としてヒステリーがやって来るというのは何らふしぎではない。この点からするとラカンが知を発見していくために分析主体=ヒステリーとして在るというのはうなずける。

     私は精神分析のためのグループはおよそグループらしくないものでなければならないと言っている。それは分析家は分析の場ではあらゆる理想の機能を停止させなければならないからだ。そのために他のグループのように制度とか規則、または固有名詞を前面に出すことはできないのだ。そこでは、各自が自由にものを言い、考えて、新しい知を構築していかなければならない。既存の組織のあり方をスライドして当てはめ、そこに安住することに意味はない。新しい知を構築する作業を地道に続けていき、獲得された知を蓄積していくことで、初めて精神分析はこの地に根付き、何か新しい息吹をもたらすことが可能になるだろう。


     発言すること
    向井雅明

     まだ68年5月の雰囲気を漂わせていたヴァンセンヌ大学で、ある日、バディウーは、毛沢東の解放戦争時代のエピソードをひとつ話してくれた。

     毛沢東が抗日活動のゲリラ戦を率いていたころ、そこには当時の共産主義の拠りどころであったスターリンのソ連から一人オブザーバーが送られていた。中国 の共産主義運動を指導しようという目論見であったのだ。そのオブザーバーからスターリンにあてられた報告についてバディウーは注目したのだ。

     オブザーバーによると当時毛沢東の軍隊は大混乱を起こしていて、まったく信じられない様相と呈していた。とにかく皆がめいめい好き勝手なことをして、一 兵卒が士官を平気で批判したり、通常の軍隊の規律からすると考えられないような状態が起きているということだ。

     だが、このような混乱にもかかわらず結局毛沢東は勝利した。なぜだろう。じつはそこにはスターリンのオブサーバーには理解できないひとつの試みが行われ ていたのだ。
    つまりすべての者に自由に意見を述べさせるということである。そしてそこでひとつの方向性が醸成されてくるとき、毛沢東は一気にそれを掴み、取り入れ政治 的、戦略的路線とした。スターリンの部下はそれを理解することができないのだ。
    これはまさに30年後、文化大革命で毛沢東が取った手法である。だから、文化大革命が始まったときすでに毛はその手法を完全に掌握していたのだ。

     このような方法の根底にあるのは、人間に自由にものを言わせると、つねに問題の核心に話題が向かっていく、つまりそこで真理が生まれるということだ。政 治家はその真理を捉えることが重要なのだ。大衆の中で自発的に生まれてきた真理をいかにに捉えるかは政治家の手腕にかかっているのだ。

     このことは、精神分析に当てはめて考えると大変理に適っていることがわかる。なぜなら、精神分析で使われる唯一のテクニックである自由連想法は、まさ に、患者の頭の中に浮かんだことをすべて言わせるということなのだからだ。そして、人間に好きなことを自由に言わせれば必ずその人が持っている問題を巡っ て話が進んでいくようになるのだ。これは、精神分析の基本である。

     私はこの精神分析の基本的原則を精神分析のためのグループにも適用できないかと思っている。つまり、サークルの皆さんの各自に自分の思っていることを自 由に発言していただきたいのである。コラムでもよいし、BBSでも、また論文という形でもどのようなものでもよい。そして言う内容は間違ったことであって もよいし、つまらないと思えることでもいい、恥ずかしがらずに言うことは必要である。何かを言うとそれを言ったひとは自分の言ったことに従属するようにな る、そうするとそれにしたがってまた次の言葉が出てくるだろう。これはひとつの作業なのだ。そしてこのような作業を通して各自はさまざまな問題を深め、ま た同時に自分の水準を高くすることができる。ラカン的な精神分析を導入するためのグループは優秀な人間を必要としている。だだの傍観者では何の意味もない ということを分かっていただきたい。さまざまな場所での自由な発言によって百戦錬磨となったような人たちの集団が成立しなければ、精神分析を導入すること はできないだろうからである。それほどこの作業は困難なものなのだ。


     精 神分析における理論と実践
    向井雅明

     日本精神分析学会の学会誌『精神分析研究』の最新号 に 『クライン-ラカン ダイアローグ』についての書評が掲載されている。

     この『クライン-ラカン ダイアローグ』という本は、クライン派とラカン派という互いに親近性のある学派どうし の対話が成立すると実りある結果が期待で き るはずだということで企画されたものだろうが、書評を読む限りではそうでもないようだ。論評者はどちらかというとクライン側の発表により理解を示している ようである。評者の、ラカン派の主張が理論的な立場に固執して「ラカン派に典型的であるが、誰一人として自分の臨床素材を詳細に論じることなく、ラカンが どう言ったかの講釈に終始している」という意見を見てもそれは明らかである。

     評者は、本書の対話の参加者で対話について意見を述べている人の言葉を引用している。それによるとこのディア ローグは「一面土に覆われた庭からやってき た ばかりの女性」と「図書館であくせく本を読む男性」のあいだの対話だということで、評者はそれに賛意を示している。おわかりだろうが、前者はクライン派で 後者はラカン派の人間を表している。

     そして「本書はクライン派の方の基本的な考え方を知るのに役立つと思われ」、「ラカン派にはまとまった臨床素材 の提示を求めたいところである」と述べ、 「本書には・・・基本的なところでフラストレーションがある。それは彼らの言っていること書いていることと、実際に行っていることの間にどれほどのギャッ プがあるのか分からないからだけではなくて、思いがけず感銘する一言が見いだせなかったからである。それもラカン派の実状の何かを反映しているのだろう」 と締めくくっている。

     どうやらラカン派以外の人たちは、ラカン派の分析家が実際の分析状況を細かく描写して説明してくれないことに、 かなり不満を持っているようだ。そこか ら、 ラカンは理論的には良いものもあるが実践には何も役立たない、などという意見も出てくるのだろう。

     しかしながらこのような意見は、精神分析というものが何であるか、精神分析における理論と実践 の関係というものはどのようなものなのか についての理解不足から来ていると私には思える。

     こうしたラカン的分析に批判的な意見は、精神医学や臨床心理の分野から起こってくることが多い。それは、そもそ も精神分析と他の治療分野には根本的な差 異 があるというところから来ている。どのような差異であろうか。

     ひとつの実践においては何を相手にするのかということを忘れては当然何もできない。たとえば、一般的な治療目的 の手段において、それは病に陥った患者で あ り、それを治療するということが問題になるので、何を相手にしているのかは自明である。これに異言を唱える者はいないだろう。ところが精神分析の場合には 状況がすこし違ってくる。精神分析は病に陥った人間を扱うものでもなく、困った人を助けるためにあるわけでもない。精神分析が関心を持つのは主体というも ので、主体を相手にするのだ。

     しかし、精神分析の相手にする主体というものは、人間でもなく、単なる自我でもなく、大変に捉えがたいもので、 それを考えるには非常に複雑な理論を展開 す る必要があり、大きな困難を伴う。フロイトの言う無意識が非常に把握するのが困難であるのと同じである。フロイトの無意識とは一方では主体のない過程であ ると言えるが、他方では主体だと言っても良いのだ。

     たとえば、現代哲学では数少ない主体の概念を追求している哲学者であるアラン・バディウーのように現代の最先端 の哲学者でさえも、彼の主著書である『存 在 と出来事』のなかでもまだ主体にある種の実体を与えていたと反省している。主体を考えることは自由を考えることとよく似たもので、人間は物理的にはまった く決定されていると考えるのが合理的である一方で、やはりそれでも自由という概念を棄てることはできないという二律背反がありその双方を同時に考えること が思想の課題となるのだ。精神分析では、主体をまったく実体的なものを持たない、完全に希薄なものとして考えることが必要となる。何か実体的なものを与え てしまうとそれは物理法則に引っかかり矛盾に陥ってしまうからだ。これは、何か存在を持つものはデカルトの懐疑によって否定されることと同様なロジックで ある。そして、そのような主体を相手にしているということを見据えた上で理論を構築すると、必然的に思弁的な色合いの強い理論ができるのだ。たとえば、こ うした実体を持たない主体と欲望の関係はどのようなものなのか、症状とはいったい何なのかという問いにたいする返答も決して単純なものにはなれないのだ。 だから、それをただの思弁だとして片づけることは精神分析の本質を捉えていないことになるだろう。

     もう一つ精神分析において他のものと違っていると考えなければならないものがある。理論と実践との関係である。

     一般的に言えば、理論は実践を行うにおいて実践に当てはめるためにあると考えられている。理論とは個々のものか ら抽象して取り出し、普遍的なものとして構築 し、 より一般的な状況に当てはめるものだと考えるわけだ。ところがこの論理は精神分析には当てはまらない。なぜなら、精神分析はそれぞれのケースの持つ特異的 な性質を持つものに興味を持ち、その特異性を捉えようとするからだ。普遍的な理論を持ってケースに当たるとその特異性を見失ってしまうおそれがある。だか ら、実践においてはすべての理論を忘れることが必要なのだ。

     それでは理論は何のためにあるのかという疑問が出てくるだろう。確かに実践では理論を忘れることが必要なのだ が、逆に理論がなくなると精神分析は精神分 析 ではなくなることもまた間違いない。精神分析はフロイトの理論によって支えられているのだ。そして理論が変わるとまた実践も変わってくる。クラインの理 論による実践はラカンのそれとは違うし、自我心理学をもとにする実践とラカンの理論をもとにするものでは明らかに違いがりある。

     セルジュ・ルクレールはこう言っている。「精神分析家に課せられる二重の要請があることがわかる。つまり、一方 では、彼にとってひとつの参照体系、無差 別 無前提に収集した素材の秩序化を可能にする理論を持つことが必要であるが、他方では、ひとつの理論体系を受け入れることは、好むと好まないとにかかわら ず、ある種の要因の特権化へと必然的に導くということから、すべての参照体系を拒絶しなければならない。

     不可避な問いが立てられる。いかに精神分析理論を、理論の構成そのものによって理論の適用の基本的な可能性を消 し去ることのないものとして考えることが で きるであろうか」。

     そもそもラカン理論は実践には役に立たないと考えている人は、そこから何か技法のようなものを取り出そうと考え ているのではないだろうか。しかし精神分 析 には技法はない。技法は学ぶものではないのだ。ではどのように精神分析実践を学び行えばよいのかというと、そのためにこそ教育分析というものがあるという ことだ。教育分析を終えて、もしくはある程度進めることで分析家としてやっていけるのだ。そのとき実践の場に立つ分析家はそこではただ一人である。そこで 出てくるすべての問題を一人で解決していかなければならない。それができないならば分析家としてやっていくべきではない。すべての事柄を自らの内密な判断 でやっていくのだ。そこにおいて練習のための訓練というのはない。すべて自分の分析で得られたことをもとにやっていかなければならないのだ。

     それでもやはり一人でやっていくと自分が何をやっているのか分からなくなってしまう恐れはおおいにある。そのた めにコントロール-一般的にはスーパー ヴィ ジョン言われている-がある。コントロールとは、分析家がひとつのケースで問題にぶち当たってどうしようもないときに、解決法を教えてもらうために偉い先 生に自分の分からないところを聞くためにあるのではけっしてない。それは、一人の分析家がもう一人の分析家にたいして自分のケースを話していく中で自らの ポジションを定めていく作業である。

     分析家としてやっていくためにはまた理論的な構築を行い、実践を適切な概念で把握することも必要だ。ラカンは概 念は肉屋の包丁のようなものであると言っ て いた。それを使って、現実の絡み合いの中に適切な区切りを見つけて、ケースをうまく切り裁いてその構造を把握することだ。

     そしてまたそのためには症例呈示も有用だろう。ただ、ひとつのグループが実践的なものであるためには症例呈示 をしなければならないという意見がある が、 それは間違いだ。そもそも症例呈示とは理論的活動なのだ。精神分析における実践とは分析実践のみであり、その方向を定めるもの、または軌道修正を行うも の、その構造を把握することはすべて理論的活動の範疇に入れるべきであろう。このことを一旦認めた上で、症例呈示のやり方を考えてみる必要があると思う。 日本でよく行われている症例呈示の方法は単にひとつの症例を漫然と紹介しているだけにすぎない場合が多いように思われる。精神分析にふさわしい症例呈示の 方法を探るために、たとえばフロイトの5つの症例とか、優れたラカニアンたちの行っているような症例呈示を少し研究して、症例呈示の在るべき姿を見いだす べきであろう。

     以前、精神分析学会で在る症例発表にたいして集団リンチのような批判を加えていた場面に遭遇したことがあった が、それは精神分析をなにか他のものと取り 違 えているとしか思えず、分析家の養成というものからはかけ離れたものであった。コントロールを受ける者、それを行う者、症例発表する者、それを聞いて批判 を加える者の間には何の上下関係が在ってもならず、すべて同じ土俵でなされるものでなければならない。指導者の立場に立つ者から意見を聞こうという態度 は、分析家としてすべての理想を括弧の中に入れるという立場を失わせてしまい、結局分析を暗示の方向に向かわせるおそれがあるのだ。

     そしてまた自分の実践をもとにして理論的考察を行い発表することも大切である。

     こういったこのとのすべてが精神分析を精神分析として実践するのに必要なのだ。抽象的だということの意味を取り 違えてはならない。理論を洗練すればする ほ ど具体的になるのだ。これはたとえば、物理学理論を見ても明らかだ。物理では理論が精緻になればなるほど物理学的現実をより具体的に把握できる。だから、 「一面土に覆われた庭からやってきたばかりの女性」と「図書館であくせく本を読む男性」 の間では必ずしも現場で泥まみれになっている状態が具体的だとは限らないのだ。

     ラカン理論を批判する人はいまだこのように高度に洗練された理論に遭遇し、真剣にそれに取り組んだことはないのではないだろうか。

     精神分析理論、ことにラカンの理論は難解であるがそれは必然的なものなのだ。その難解さの理由はラカンの 次のような言葉に表れている。「治療の方針」第二章で、ラカンはクリスを批判してこう言っていた-「あなたの意図はまっすぐでも-なぜならあなたの判断も 間違いなくまっすぐなのだか ら -、物事のほうは、曲折している」。

     また同第第五章では、フロイトについてこう言っている。「フロイトのテクストを読み、彼の思考がわれわれに課す るさまざまな紆余曲折にしたがうことにし よ う。彼の思考の紆余曲折については彼自身も科学的ディスクールの理想に照らして遺憾に思い、自分は自分の扱う対象によってそれを余儀なくされたと述べてい る」。

     つまり精神分析理論の紆余曲折はその対象の紆余曲折と同一なのだということである。

     これらの言葉が示しているのは、精神分析理論は必然的に単純な一本の線で引けるようなものではなく、複雑に曲が りくねった現実を反映して、自らも曲がり く ねっているのだということで、そのような理論を把握するにはやはり多大な努力を必要とするということだ。それをただ難解な理論で臨床に役立たないと決めつ けるのは知的な怠慢でしかない。

     Lacan.kill
    向井雅 明

     サークルのURLとメルアドのドメインに killがついているのが不吉だということでちょっと評判が良くないようだ。このHPにはロリポップという会社 のサービスを使っており、始めるときにこの会社が指定するいくつかのドメイン名から選べということなので、なるだけ覚えやすくて打ち込みが簡単なのを選ぼ うと思い、ちょっと刺激的だがかなりインパクトが強い言葉である killを選んだ。この言葉なら余り他には選ぶ人はいないだろうからユニークさは間違いない。
     
     確かにkillというのは言葉を通してなさ れるものである精神分析にはあまり適切ではないかもしれないし、暴力的なイメージがついてしまうという風に取 られてしまうかもしれないが、また一方ではラカンの持っている辛辣な部分、バロックな部分、そして精神分析の重要な概念である「死の欲動」にもつながるよ うな強力なイメージもある。
     
     ところで、ラカンは『他のエクリ』に収録さ れている「真の精神分析と偽の精神分析」を次のような言葉で結んでいる。「精神分析は自らを構成する行為にお いて自分自身を情熱として表し、再びおのれの胸の裡にヴォルテールが欺瞞を罵倒した合言葉を呼び起こすのだ。「下劣なものを踏みつぶそう」、と」。 1958年に書かれた言葉である。ここにはラカンの精神分析を骨抜きにしようとする動き、偽の精神分析にたいする激しい怒りの念が読み取れる。
     
     これを書いていたらドルーズの言葉を思い出 した。「哲学は何の役に立つのかと問われたとき、答えは攻撃的でなければならない。なぜなら、そのような問い は皮肉で辛辣たらんとしているからである。哲学は国家や教会の役には立たない。国家や教会には別の関心事がある。哲学はいかなる既成の権力にも役立たな い。それは悲しませるのに役立つ。誰も悲しませず、誰も不愉快にしないような哲学は哲学ではない。哲学は愚劣をやっつけるのに役立ち、愚劣を恥ずべきもの とみなす」。
     
     これらの文章からは感じられるのは、しっか りと物事を考えるということは単に生活を安逸にすごすことではなく何か暴力的なものに突き動かされるというこ とである。
     これからラカンを真剣に日本に導入しようと いうわれわれにもそのような面が合っても良いのではないだろうか。
     
     精神分析は言葉でなされる。テロ、殺人など の暴力こそが力をふるう今の世界にあえて、言葉は剣よりも強い、ただ傷つける剣以上にパワフルであるというこ とを、あらためてアピールする必要があるのではないだろうか
     
     またkillは切るcouperに通じる。 解釈は切ることcoupureだとラカンも言っているのでその意味でもkillは悪くない。
     
     つまりlacan.kill、ラカンは下劣 なものを切るのだ。
     
     こうした理由でkillというドメインもそ れほど悪くはない。
     
     ちょっとこじつけが強いかもしれないが、私 はこう考えている。もちろんサークルの皆さんがいやだと思われるならば変えた方がよいのは間違いない。
     
     各自のご意見をお待ちしています。
     
      付記… 2007/06/04  サークル員間の活発な議論の結果, ドメインを変更することとなりました. これに伴い,WebのURL,及びメールアドレスを変更致します. 新しいURL,及びメールアドレスは以下の通り. 

     URL:http: //psychanalyse.jp/
     E-mail: info@psychanalyse.jp
     
     旧来のURLも引き続き,使用可能 ですが,
     メインはこちらとなりますので, ブックマークの変更を宜しくお願い致します

     21世紀のラカン
    向井雅 明

     先日このHPでコラムの例として、数 年前に誠信書房に頼まれて書いたものを出してみた。「20世紀が理解しな かったラカン」という題名を付けたのだが、 最初は「変わった人間ラカン」という題であった。だが、あまり編集の人の受けが良くないので現題にした。これをHPにupすると決めた何日か後に、エコー ル・ド・ラ・コーズの機関誌Lettre Mensuelleが送られて来たので、何の気なしに裏表紙を読んでいたら、「20世紀云々」という題名のことが思い出されたのでそれについて一言。

     Lettre Mensuelleの記事では、パリのCite de l'architecture(建築センター?)で展示会場が開設された際に、France CultureのMetopolitainsというラジオ番 組がオープニングを紹介し、そのとき番組を受け持っている建築家Francois Chaslinが「私たちがジャック・ラカンをやるのはこれが初めてだ」と言ったと書かれている。

     番組ではラカンのエクリの中の次の一 節が引用され た。
     ラカンは「建築と建物を区別するも の」を強調して 言う-「それは、建物提供しうる使用法を超えたところで建築を つくりあげる論理の力である。実際、バラックでさえなければ、いかなる建物も、建物をディスクールに近づけるこうした次元を無視することはできない」。

     この引用にたいして、記事を書いた人 はこの引用は たいへん適切なものだと手放しでほめている。

     さて、私は上のコラムで20世紀はま だラカンを理 解できなかったと書いた。では、果たして私たちが今いる21世 紀はラカンを理解するであろうか。私たちは今ラカンが世界に受け入れられるか、それとも過去のものとして葬り去られるかの境目にいるように思える。一方で は、ラカンだけではなく精神分析そのものがamerican way of lifeによって潰されようとしている。そもそも精神分析は支配的ディスクールとうまくやっていくことは難しいのだ。

     しかしその一方、この建築家のような 例もある。そ もそも、建築家のような精神分析とは直接には関係のない人が、 一般の人には秘境のようなエクリの迷路から、このように見事な引用を取り出してくるということ自体、私たちには驚きである。日本では何人の精神分析に携 わっている人がエクリから適切なラカンの引用を取り出せるだろうか。このような例をみせられるとフランスのラカンへの関心の広がりと理解の高さを改めて見 せつけられる思いだ。このような現象は単なる偶然かもしれないが、ひとつの徴候として、私たちにラカンは世界に受け入れられつつあるのだという希望を抱か せる。

     20世紀が 理解しなかったラカン
    向井雅 明

     フランスではラカンについてのいろい ろな人の証言 がたくさん出されている。彼の死後20年以上経ったつい最近 も、生前ラカンに近かった人たちとのインタ ビューを集めた『カルチエ・ラカン』という本が出て話題を呼んでいる。それらに目を通すと、ラカンというのはとても変わった人間であったようで、一体どん な人間だったのだろうという興味が湧いてくる。

     では何がそんなに変わっているのかと いうと、それ を一言で言うのは簡単ではない。別のところでも述べたことがあ るが、彼は様々な面を持った人間で、見る 角度によって全く違うプロフィルを見せてくれる人なのだ。多彩な人と言っても良いであろう。フロイトのイメージは、まじめな研究者としてのグレーな色調が 似合っているのにたいして、ラカンは色彩に富んでいるのだ。

     色が出たので色っぽい話として女性関 係を見てみれば、フロイトがおそらく生涯妻のマルタしか女性は知らなかった のにたいして、ラカンは女性関係での艶聞 が絶えず、かなりのドンファンであったようだ。また服の趣味にしてもフロイトはいつも地味なスーツでネクタイをしているのにたいして、ラカンの服装の趣味 は派手であった。若かった頃はかなりダンディーであったが、年を追うにつれ奇抜と言ってもよいような格好、趣味がよいと言うより、ちょっとぎょっとするよ うなものを好んだ。

     このような週刊誌的な興味をそそる事 柄も、ラカンのひとつの面を見せてくれるという点では貴重であって、単なる インテリという枠内に収めることのできな いラカンのユニークさを感じさせてくれる。知的な冒険者としてのラカンとこの社交的な俗物が不思議な割合で混合し、表現しがたい魅力を持った「変わった人 間」ラカンを作りあげているのだ。

     では、知的な側面から見るとラカンは どのような人であったのだろう。

     フロイトの知的背景と比較すると、ラ カンのそれは哲学的なものの比重の大きさである。もちろんフロイトにも哲学 的な言及にことかかないが、フロイトはど ち らかというと哲学的な思弁を嫌い自然科学的な実証主義を拠り所にしようとしたのにたいして、ラカンは大きな哲学的素養を持ち、哲学者を持ちだして自分の理 論の構築の支えとすることも少なくなかった。

     現代のフランスは哲学的には世界の中 心とも言える地位を占めており、戦後の哲学界を常にリードし、哲学的運動の 中心となる哲学者たちを多く輩出してき た。これらの哲学者たちとラカンは共に歩き、彼らから様々なものを吸収し、また彼らに大きな影響を与えてきたのである。ざっと名前を挙げると、サルトル、 メルロ=ポンティー,レヴィ=ストロース、アルチュセール、バルト、デリダ、ドゥルーズなど現代哲学のそうそうたる顔ぶれである。またフランス人ではない がハイデッガーの名前も忘れることはできない。

     ラカン自身は哲学者ではなかったし、 自分が哲学者 の中に入れられることをはっきりと拒否したであろうが、精神分 析理論が哲学と深い関係を持っていること を誰よりも理解していた。というのも、精神分析理論というのは主体についての理論であって、主体についての理論というのは精神分析が誕生するまでは哲学が 多くの点でそれを引き受けていたからである。またラカンがする歴史上の大哲学者の解釈は非常に興味深いものが多く、哲学の教授からは得られないような新鮮 さを持っていた。

     フランス現代哲学の多くの人たちは文 科系の知識を 重要視し、数理系の知識にあまり重きを置かないと言う傾向があ る。サルトルもそうであったし、ドゥルー ズもそうであった。フランス哲学は英米の実証哲学にたいしてその点で遅れをとっている。その中でラカンは科学に大きな地位を与え、フランスの哲学の流れに 逆らって科学的な観点、数学的な考えを自らの思想に導入することを躊躇しなかった。たとえばゲーデルの不完全性定理に数学の外であれほどの重要性を与えた のはラカンが初めてであろうし、彼の最後期の結び目の理論も一線の数学者と共に開拓していったのであった。

     哲学、科学的な背景に加えて彼の芸術 的なものとの 繋がりも強いものがあった。彼自身は芸術家ではなかったが芸術 家とは親しい関係にあり、戦前ではダリと かのシュールレアリスムの連中と親交を深めていたことは有名であり、また二番目の妻、シルビアもジョルジュ・バタイユの妻だった人であり、彼女自身も女優 であった。文学的にも現代、古典と広い分野に深い造詣を持ち、文学研究家にも考えつかないような切り口で様々な作品を料理するやりかたは見事である。文学 に関係して文体ということに触れると、彼の持っている文体は難解だということで有名で、これは彼の「変わった人間」らしさをまさに表わしており、それには 奇妙なという意味を持つバロックという評価がなされている。

     このように、ラカンの持っている知的 背景のすべて は第一級のものであり、かつラカンのマークが深く印されている のである。彼が残したものを知れば知るほ ど、ラカンのスケールの大きさに驚かされる。おそらく20世紀が生んだ歴史的な人間の一人であるといっても言い過ぎではあるまい。だが20世紀は十分にラ カンを評価したとは言えない。おそらく彼の本当の価値が認められるのはこの21世紀であろう。フィリップ・ジュリアン著『ラカン,フロイトへの回帰』を訳 したのもそのような思いからである。ラカンの弟子の一人であるジャック=アラン・ミレールはラカンの前で感じた印象をこう表わしている。「アルチュセール などと一緒にいると現代の優れた一哲学者の前にいるという感じであったが、ラカンを前にすると何かプラトンとかデカルトのような歴史上の人物がいるような 気がした」。これはラカンを作りあげている様々な面が醸し出す圧倒的なイメージなのである。

     ラカンのもっている様々な面は上に述 べたものだけ ではもちろんない。ここでは紹介できなかった彼の重要な一面に 臨床家としてのラカンがある。そこにもや はり「変わった人間」ラカンが顔を出しているのだが、残念ながら紙面も限られているのでまた別の機会に譲ることにしよう。

    『誠信プレビュー』第79 号(誠信書房), 2002,pp.5-8.


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